Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

ブルースが来るぜ! 君は騒音寺を知っているか?

2007〜8年頃だったと思うが、私は騒音寺というバンドにどハマりして、

東京近郊でライブがある時はほぼ必ず行く、

という時期が1年ちょっとくらいあった。

 

騒音寺を知ったきっかけは確か、テレビブロスで紹介されてる記事を目にしたことだと思う。

(そう言えばこの頃はテレビブロスも面白くて、毎号買っていた)

 

その記事はロック写真家・ライターの久保憲司さんが書いていて、

 

騒音寺を尊敬する岸田繁くんがプロデュースすれば、有名になっていいのに。」

 

との一文が心に残っていた私は、

ある日お茶の水JANISに行った際、騒音寺のCDを借りて聞いてみたのである。

 

 

 

一聴して度肝を抜かれた。

 

 

まるでストゥージズにローリング・ストーンズ、ディープ・パープルをミキサーにぶち込んで粗挽きにしたような、骨太なロックンロール。

 

それでいてとんでもないオリジナリティ。

 

昔話を題材にした『道成寺』や『狐か狸か』、

民謡をアレンジした『乱調秋田音頭』などの、

ディープな日本のモチーフ。

 

琵琶法師の説法のような語りのバックで、フリーキーなリフが鳴り続ける『道成寺』や、

訛りが上手すぎて何を言ってるのか本当にわからない『乱調秋田音頭』など、

こんなバンド今まであった!?

さすが京都、恐るべし!

 

と、一瞬で好きになり、それまで出ていたCDを一気に買った。

 

 

同時に、ライブにも行き始めた。

最初に見たのは川崎クラブチッタの、新年のイベントだったように思う。

以降は東京でのライブは下北沢club cueと、新宿red clothが多かったと思うが、

時には千葉や横浜にも遠征した。

 

ライブもすごかった。

演奏ももちろん最高だったが、ナベさんのエンターテイナーっぷりが輪をかけてすごい。

 

見上げる長身に痩躯の長髪、ド派手なジャンプスーツでナベさんが登場すると、

騒音寺目当てでない客も全員が目を奪われた。

 

呆気にとられている間に、ぶちかますロックンロール。

ライブの一曲目は『社会の窓から』『Karasu On My Shoulder』あたりが多かったと思う。

 

そして2、3曲かますと今度は、ロックスター然としたルックスと裏腹に、

関西弁の鉄板MCで、必ずひと笑いとる。

 

それでフロアにいる観客は完全に騒音寺の虜になっていた。

 

 

 

 

特にTHE NEATBEATSとの対バン時の真鍋さんとの掛け合いは、

並の芸人よりよっぽど面白かった(笑)。

 

 

そんなこんなで騒音寺にどハマりした私は、

iPod騒音寺の楽曲をコンプリートで毎日聴きつつ、

1〜2ヶ月に一度くらい、東京近郊のライブに通う、という生活を1年くらい続けた。

 

 

横浜の中華街近くのライブハウス(名前忘れた)の時は、

ナベさんが中華街で100円で買ったという、1回拭いたら壊れたハーモニカのおもちゃを、

ナベさんが投げたのをキャッチした。

 

その後、フロアの後方で休もうとして空いてるところに腰掛けたら、

隣にナベさんが座っていて、

「わあ!びっくりした!!」と言ったら、

「おるで!」と言われたこともある。

 

またある時は、ステージ中「みんなやって欲しい曲ある?」と問いかけるナベさんに、

どうしても『教訓1』(加川良のカバー)をリクエストしたかったが、

とっさに言えなかったことも。あれはred clothだったかな。

 

 

 

対バンのバンド達も、いいバンドがいっぱいあった。

 

やはり一番はTHE NEATBEATS

エンターテインメント性では騒音寺に全く引けを取らないが、

こちらもゲキ渋なロックンロールバンドだ。

真鍋さんは眉を動かすだけで笑いを取れた(笑)

 

ザ・サイクロンズ、夜のストレンジャーズ、片山ブレイカーズスクービー・ドゥー

ザ50回転ズなど、いい対バンをいっぱい見た。

 

まだ全然売れてない頃の毛皮のマリーズも見たな。

 

なんかのイベントで騒音寺の前にやってた、サミー前田という方の、

昭和歌謡やGSだけを使ったDJもめちゃくちゃカッコ良くて目からうろこだった。

 

 

 

そして2008年、私の騒音寺追っかけライフはクライマックスを迎える。

 

7月、フジロック出演決定。

 

12月、ツアーファイナル渋谷クワトロが決定。

 

 

私の胸は高鳴った。

特にフジロックは毎年行っていたので、ついにフジロック騒音寺が交差する時が来るのか、

と胸を踊らせた。

 

 

当日。

初日の苗場食堂(裏の特設ステージ)。

ここは櫓のような場所にバンドがすし詰めになって演奏する、

かなり狭いステージだったが、騒音寺にお誂え向きだと思った。

 

オアシスエリアからグリーンステージへの通路でもあるので、

通りがかりの人たちの度肝を抜いてやれ!

 

確かグリーンステージのメインアクトである、My Bloody Valentaineの真裏だったと思う。

同行してた友達は全員そっちに行ってしまったがそんなの関係ない。

 

そんな足下ばかり向いてるバンドのことなんかどうでもいい。

最高のロックンロール・ショウが待っているのだから。

 

騒音寺は期待通りのライブを見せてくれた。

歴代の苗場食堂のステージの中でも、屈指の人入りだったように思う。

狭い櫓から落ちそうなくらい身を乗り出して、

フジロッカー達を煽っていた。

 

ライブ終わり、興奮冷めやらぬ中、苗場食堂の櫓の裏側あたりでたたずんでいると、

終演後、楽屋?で一息ついている騒音寺メンバー達の姿が。

するとくるりの佐藤さんが、全員分のビールを両手に抱えながら入っていくのが見えた。

 


騒音寺 @FUJI ROCK FESTIVAL'08

 

そして12月のクワトロ。

これはその年に出たベストアルバム『THE BEST OF SOーON⭐︎G』ツアーのファイナルだったと思う。

 

会場に入り、改めて「こんな広いところでワンマンするのか」と感慨深かった。

 

まず、フラワーカンパニーズ騒音寺の『社会の窓から』を演奏。

(これもめちゃくちゃカッコよかった!)

 

そして騒音寺の面々が入場。

 

大団円だった。

セットリストも、ステージも最高のものだった。

クワトロに出るって、こんなにすごい事だったのかと実感した。

 

 

 

 

最高すぎて、その後ちょっと燃え尽きてしまった。

 

年が明けてから私は、騒音寺のライブから足が遠のいてしまった。

ツアーが終わってちょっとライブが減ったからだったかもしれない。

 

でも騒音寺はいまだに聴くとかっこいいし、

騒音寺を追っかけた中で知ったバンドも今でも好きだし、

今はもうできない、貴重な日々だったと思う。

 

 

最後に私の好きな騒音寺15曲。

 

  1. キョート・シティ・ブギ
  2. 二グロの血
  3. 狐か狸か
  4. 御行儀悪いブルース
  5. 社会の窓から
  6. ガキのくせに
  7. 道成寺
  8. 乱調秋田音頭
  9. Brandnew Guiter Blues
  10. Rock and Roll(will never die)
  11. ボディー・トーク・シャッフル
  12. 教訓1
  13. 花のセブンティー
  14. ガタゴト(タムさんが歌う曲!)
  15. 一生浮かばれぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ロックの神様』久保憲司とSNOOZER誌のディスクガイドを熟読してた

大学の頃、『SNOOZER』という音楽雑誌を愛読していた。

 

今もサインマグなどの媒体で活躍している、田中宗一郎氏が編集長だった洋楽誌で、

ロッキンオンと似ていたが、よりトガったアーティストがセレクトされる傾向が強く、

ジャンルもロックだけじゃなくテクノやハウスなどのダンスミュージック系も多かった。

また、特定の日本のアーティストも取り上げていた。

 

つまりはタナソウ氏の好みが直接的に反映された雑誌で、

気に入らないアーティストは徹底的にこき下ろされていた。

また、誌面の随所にロッキンオン誌への対抗意識が露呈していて、

それもおもしろポイントだった。

 

CLUB SNOOZERというDJイベントもあって、それも数回行ったことがある。

確か最初は新宿コマ劇場裏にあった時代のLIQUIDROOMでやっていて、

移転後はいろいろな場所でやっていた。

 

SNOOZER誌もクラスヌも思い出がいっぱいだ。

ここで知った音楽は本当にたくさんある。

 

ロッキンオン的な正統ロックリスナー(オアシス、コールドプレイなど)だった私だが、

SNOOZERと出会って随分ジャンルが広がった。

 

BOOM BOOM SATELITES、HERBERT、The Avalanchesなんかは

SNOOZER読んでなかったら聞かなかったと思う。

 

WINO(JUN)、Jerry Lee PhantomなんかもSNOOZERでしか盛り上がってなかったような。

 

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さて、そんなSNOOZER誌で映画批評のコラムを持っていたのが、

ロック・フォトグラファーの久保賢司さんだ。

 

クボケンさんは17歳で単身ロンドンに渡り、

ロック雑誌の編集部に単身乗り込んで写真の仕事を得て、

数々の伝説のライブ現場に立ち会い・・・

という大変にアクティブな人で、

帰国後はライターやイベントのオーガナイザーとしても活躍している。

 

SMASHの日高さんが初めてグラストンベリーを視察に来たときにも同行して、

通訳を兼ねつつちゃっかり遊び倒したり、

ジーザス・アンド・メリーチェーンの数人しかいない最初期のライブを目撃したり、

セカンド・サマー・オブ・ラブを現地で体験して、

帰国してからは芝浦GOLDでクラブ・ヴィーナスというアシッド・ハウスの

イベントを始めて、デリック・メイやアンドリュー・ウェザオールを呼んだり、

そのフットワークで数々の伝説にふらりと立ち会っている、

ロック現代史の生き証人のような人である。

 

そんなクボケンさんの音楽エッセイ、『ロックの神様』を私は大好きで、

大学時代は何度も読み返した。

 

 

クボケンさんは渡英前、パンクバンドをやっていて、

憧れていた町田町蔵のライブの前座をしたりしている。

つくづくすごい行動力の人だ。

 

この本の巻末に、クボケンさんとタナソウさんの対談が収録されている。

 

二人の出会いはタナソウさんがロッキンオン誌の副編集長だった頃、

クボケンさんにプライマル・スクリームの記事を書いてもらったときだそう。

 

タナソウさんがクボケンさんの書いた文章にめっちゃ赤字を入れたところ、

その記事が載ったロッキンオンを見たクボケンさんの友達から、

「お前、めっちゃ文章うまいねんな」

とめっちゃ電話かかってきた、というエピソードが好きだ。

 

また、タナソウさんは入稿前の忙しい時期にしょっちゅう行方をくらましていたらしく、

後になって聞くと、

「海を見に行ってた」

と答えているのを見て、「副編集長なのにいいのかなな」と思ってた、

というエピソードも(笑)。

 

 

同じ時期にSNOOZER編集部が出したディスクガイド、

The Essencial Disc Guide 2004  あなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコード』も熟読した。

 

2003年のSNOOZER誌選出のベスト50アルバムを紹介し、それぞれのアルバムについて、

これが好きだったらこれも聞くべき、もしくは、

このアルバムの参照元となった過去の名作、

などが芋づる式に紹介されている、なかなか画期的な構成のディスクガイドだ。

 

 

例えば私の大好きだったThe Rapture『Echoes』に紐づけられているのは、

 

PUBLIC IMAGE LTD.  『Metal Box(Second Edition)』

THE KINGSMEN 『The very vest of the Kingsmen』

PSYCHEBFC   『Elements 1989ー1990』

ROXY MUSIC 『For your Pleasure』

MU『afro finger and gel』

CAN  『Future Days』

DURAN DURAN  『DURAN DURAN

 

一見脈絡なさそうなアルバムも混じっているが、

そこに文脈を見つけ、結びつけるのがタナソウさんの腕の見せ所。

 

これを読んで当時の私のJANIS通いは加速するのだった・・・

 

 

と言いつつこれを書きながら思ったが、上記のリストで実際に聞いてみたのって、

キングスメンとMUだけだな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極私的・平成の日本を代表する50曲

私は1982年生まれなので、平成元年の時、7歳。

そして平成が終わった時、36歳。

 

と言うことは私が聞いてきた音楽、

好きな音楽はほぼ平成の音楽ということになる。

 

ふと思い立って、私の個人的な好みによる、

平成の日本を代表する50曲を一気に選んでみた。

 

一般的な50曲、これを読んでる方の選ぶ50曲とは違っていると思うが、

それはご容赦願いたい。

 

 

その乖離にこそ、私の人生が滲み出ているのだから。

 

 

 

極私的・平成の日本を代表する50曲

 

さよなら人類/たま

物心ついて初めて好きになった曲。今見返すと危険さが伝わってくる。


愛のために/奥田民生

Hey×3を観て、民生と浜ちゃんの古着に憧れていた。


恋のマジックポーション/すかんち

これか天才テレビくんに使われてた『You You You』か迷った。

 

悲しみは雪のように/浜田省吾

ハマショーのように怒りや貧しさをストレートに歌う人って、今はいない。


世界が終わるまでは/WANDS

言わずと知れた、スラムダンクのED。


Alone/B’z

95年くらいまでのB'zは名曲揃い。


Love Train/TM network

TKサウンドの最高峰はTMNTRF


グロリアス/GLAY

GLAYの苦労話は好きでした。『REVIEW』は傑作アルバム。


悲しきASIAN BOY /The Yellow Monkey

初めて買ったシングルCD。もちろん短冊型。


Over drive /ジュディ・アンド・マリー

YUKIはもちろんのこと、TAKUYAも結構好きでした

 

僕の天使マリ/スピッツ

ロビンソンあたりでスピッツを知って、遡って知った名曲


Shangri-La/電気グルーヴ

多くのロック少年と同じく、電気を入り口にテクノを知った。

 

Candy house/Thee Michelle Gun Elephant

NHKーFM『ミュージックスクエア』でこの曲をはじめ、多くの名曲と出会った。

 

ガソリンの揺れ方/Blankey Jet City

高校時代はブランキーばかり聞いてた。ライブに間に合わず泣

 

いかれたBABY /フィッシュマンズ

いなくなってから知った。何にも似ていない、孤高の名曲。


今夜はブギーバック/小沢健二

この曲こそ90年代を代表する曲。あらゆる意味で。


Playboy playgirl/ピチカート・ファイヴ

田舎の中1だったので渋谷系の意味はわからなかったけど、(↓に続く)


プライマル/オリジナル・ラヴ

渋谷系の曲はなぜか心に引っ掛かった。そして今も聞き返している。


I’m knocking on the door/L⇄R

中学の時、初めて行ったカラオケで歌ったら意外と難しくて玉砕した。


サマージャム95/スチャダラパー

多くのロック少年と同じく、オザケンからのスチャダラでヒップホップを知った。


サマーヌード/真心ブラザーズ

これも95年!


今宵の月のように/エレファントカシマシ

この頃ポップジャムによく出ていたような気がする。


SHAKE /SMAP

ジャニーズ曲で唯一ランクイン。歌も踊りもこの頃のキムタクも大好き。


Innocent world/Mr children

ミスチルはあまり好きでは無いが、この曲の爽快さには抗えない。


歩いて帰ろう/斉藤和義

いつの間にか知って、じわじわ好きになった。


LADY MADONNA/LOVE PHYCHEDELICO

大学受験の帰りにCDを買って聴きながら帰った。3時間、ずっとリピートした。


Traveling /宇多田ヒカル

当時、ロッキンオンの山崎編集長もDJでこの曲を掛けてた。


ワンダーフォーゲル/くるり

なんだかんだで一番ライブを観たのはくるりかも。


Lucky/supercar

青森の宝物です。淳治の歌詞、文章も好き。


NUM-AMI-DABUTZ/ナンバーガール

会社員のような外見に衝撃。ダイナソーJrみたいな音楽をやっててさらに衝撃。


海行かば山ゆかば踊るかばね/ソウルフラワーユニオン

クラブスヌーザーでよくかかってた思い出の曲。


青春狂走曲/サニーデイサービス

失恋した時、唯一聴けた音楽がサニーデイ。曽我部さんの声に憧れてる。


Point of view point/Cornelius

東京した初めてライブに行ったのがコーネリアス。Tシャツも大事に着た。


Music Lovers/The Jerry Lee Phantom

これもクラブスヌーザーの思い出。


エイリアンズ/キリンジ

だいぶ後になってからハマった。当時は子供だったということか・・・


発光体/ゆらゆら帝国

ここからナゲッツなどのサイケガレージ沼にしばらくハマる


Rock And Roll(Will Never Die)/騒音寺

2008年頃、騒音寺を追いかけてライブハウスに通いまくっていた。

 

深夜高速/フラワーカンパニーズ

騒音寺のライブにケイスケさんが出てきた時、盛り上がったなあ。


若者のすべて/フジファブリック

フィッシュマンズは誰も似てないと書いたけど、私の中ではちょっと似た存在。


高嶺の花子さん/Back number

自分ごととしてはもう聴けないけど、それはそれとしていい曲。

アルクアラウンド/サカナクション

フジロックで初めて観て、久々に衝撃を受けた。その後全曲聞いた。


肉体関係part2 逆featuringクレイジーケンバンド/RHYMESTER

歌詞もPVも最高。宇多丸さんのラジオもよく聞いた。


たりないふたり/creepy nuts

令和の、ヒップホップ版の、電気グルーヴだと思う。イノベイター


SUN/星野源

この曲で星野源のことも、ブラックミュージックのこともグッと好きになった。


明日も/SHISHAMO

意外とどハマりした。ストレートに元気がもらえる曲。


(Love is like a)Heat Wave/The Learners

チャーべさんのコンセプト、マリーさんのルックス、最高なバンドだ!


台風銀座/台風クラブ

最近インディーロックはほとんど聴いてないが、それでもこのバンドには心惹かれた。


Summer Soul/cero

ceroは次世代のYMOと言ったら言い過ぎ?だって3人とも天才だし。


KAWASAKI DRIFT/BAD HOP

こんなリアルでストレートな曲、もうロックには無い。サウンドにも声にもシビれる。


LEMON /米津玄師

平成を締めくくるにふさわしい、大名曲。紅白見て感動したの初めて。

ミュージシャンの書く文章にはリズムとメロディがある。 私のお勧めする「音楽本」5選。

音楽本を読むのが大好きだ。

  

音楽本といっても、いろいろな本があると思うが、

私の興味範囲の音楽本を大まかに定義すると次のようになる。

 

 

①ミュージシャンが書いた、自伝、または音楽に関する本

②ミュージシャンが書いた、音楽とは関係ないジャンルの本


③ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、音楽に関する本


④ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、

音楽とは関係ないジャンルの本

 

※音楽のジャンルはPOPS、ロックが多いですが、特に問わない。

※スコアや楽譜、楽器の教則本などは今回の定義からは外す。

 

 

④はもはや音楽本とは言えないかもしれないが・・・。

 

 

 

書店の本棚に一番多いのは③ではないだろうか。

音楽批評家の評論や、ディスクガイド的な本も含まれるので、種類も数も多いと思う。

 

ライターや批評家の人たちは文章を書くのが本業であるので、

文章がうまいのは当たり前だし、資料的価値がある本も多く、

③のカテゴリーは当たり外れが少ない印象がある。

 

 

しかし、今日私が推したいのは①のカテゴリー、ミュージシャンが書いた本だ。

 

 

なぜなら、ミュージシャンの人生は一般人と比べて山あり谷あり、

普通の人生では体験しないようなことをたくさん経験してきた人が多く、

そもそも書いてるネタが面白い。

 

さらに、ミュージシャンは文章を書くことが本業ではないが、

日々、作詞を通じて言葉と向き合っているからか、

またはメロディやリズムに敏感だからか、

本当に独特な、その人だけが持つ個性的なリズムの文体を持っている方が多く、

それこそが私が①カテゴリーの音楽本の最大の魅力だと私は思う。

 

 

そんな私が愛してやまない①カテゴリーの音楽本を何冊か紹介する。

 

 

小西康陽『これは恋ではない 小西康陽のコラム1984−1996』

 

私が思うに、日本のミュージシャンで一番の名文家は小西康陽さんである。

まさに小西さんのDJのように、都会的で、洒脱でスムーズだが、

時々聞き流すことの出来ないフックが随所に挟み込まれている文体。

 

そして語られていく愛するものたちへのフェティッシュなこだわり。

レコード、名画座、女性、バー、etc・・・

 

植草甚一片岡義男山口瞳小林信彦といった、

粋な都会人的な昭和のエッセイの名手たちの系譜は、

実は小西さんにこそ引き継がれていると思う。

 

このバラエティ・ブック3部作は3冊とも、

とにかく日記もエッセイもショートストーリーも、全てが抜群に面白いが、

後半段々人生の孤独感や寂寥感がに滲み出てきて、

それがご本人の今の気分なのか、少し暗い印象になっていくのに対し、

1冊目のこの本はまだ華やかな都会ライフが描かれていて、

まるでピチカート・ファイヴの歌詞みたいだ、と思ったり。

 

 

 

 

 

 横山剣『マイ・スタンダード』

 

独特のリズムとメロディが備わった、

ミュージシャンならではの個性的な文体という点において、

クレイジーケンバンドのボーカル・横山剣さんの右に出るものはいない。

 

彼の思い出話の中に出てくるディテールの喚起力は凄まじい。

例えばこんな一文。

 

 

 

かつて本牧の街が目を覚ますのはィ夜の深い時間だった。

本牧通りに夜がくれば、VFW、IG、IG-Annex、

山手署の交差点を小港橋方面に進めば、

リキシャ・ルームといった老舗のナイトスポットが

深海の発光体みたいな淡く儚い光をポワーンと放ちながら

幻影のように浮かんでる。

なんだか現実味が全くないんだ。

 

それとは対照的に、通りの反対側のディスコ・リンディーのネオンだけが、

まるで返還前の沖縄ゴザの歓楽街みたいなギラギラで絶倫な光を放っていた。

 

 

 

 

こんな描写がそこら中に溢れている。

剣さんの文章は固有名詞やディテールの列挙に執拗にこだわることで、

単なる事実や出来事の記録ではなく、

むしろその時、そこに流れていた空気感、質感を捕まえ、立ち上がらせることに見事に成功している。

 

あの独特な話し方とも全く別の、オリジナルな文体で語られる本牧、原宿、六本木・・・

 

一度読んだら病みつきになってしまう、そんな中毒性の高い文章だ。

 

 

 

クレイジーケンズ マイ・スタンダード

クレイジーケンズ マイ・スタンダード

 

 

 

 

 

菊地成孔菊地成孔の粋な夜電波』

 

これはシリーズでもう何冊か出ているが、

TBSラジオで放送されていた同名のラジオ番組で菊地さんが喋った内容を、

ほぼそのまま文章にした本だ。

 

だから厳密には菊池さんが書いた文章では無い。

菊池さんは他にも数多くの著作があり、そちらの文章も大変面白いのだが、

なぜこの本を取り上げたかというと、私はこの本を読んで驚いたからだ。

 

当初、この本は菊池さんが話した言葉であり、書いた言葉では無いので、

ミュージシャン独特の文体を愛好する私はそれほど期待していなかった。

 

このラジオ番組が好きだったので、聞き逃した回のエピソードが読めればなあ、

ぐらいの気持ちで買ったのだが。

 

しかし、私の低い期待に反して、この本は本として、抜群に面白かった。

 

つまり、話し言葉を書き起こしているだけなのに、

ミュージシャンの独特な文体として十分に成立していた。

 

失礼ながらこのラジオ番組での菊地さんは、

思いつきというか適当というか、

与太話のような風情でいつも話しているので、

それを書き起こしたときにこんなに個性的で

読み応えのある文章になるとは思いもしなかった。

 

文字で読んでも面白いことを、

あんな思いつきのようにペラペラと話していた菊地さんの凄さを実感した。

 

言文一致とでもいうのか、 

言葉に身体性があるというか、

むしろ菊地さん自体が言葉で出来ているような、

そんな稀有な人です。

 

 

 

 

 

村上”ポンタ”秀一『自暴自伝』

 

言わずと知れた日本を代表するドラマーであり、

70年代から数々の名曲に参加してきた、セッションミュージシャンのポンタさん。

 

この本はそんなポンタさんの伝説の名曲、名盤への華麗なる参加遍歴と、

豪快すぎるキャラクターと逸話の数々を存分に堪能できる自伝だ。

 

ポンタさんの一切立ち止まることなく、

あらゆるものをなぎ倒して前に進むような半生を通じて、

はっぴぃえんど、シュガーベイブユーミンと盛り上がっていく70年代のニューミュージック、それらの人材が楽曲を提供した80年代のアイドルブームの隆盛と、

当時の興奮が臨場感を持って伝わってくる。

 

全盛期は都内のスタジオを1日何軒もはしごして走り回っていたという

ポンタさんの後ろについて回って、

数々の伝説の名曲のレコーディングに立ち会った気分になれる一冊だ。

 

 

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

 

 

 

 

和嶋慎治『屈折くん』

 

青森が誇る、知る人ぞ知るロックバンド、人間椅子のギター&ボーカル、

和嶋慎治さんの自伝。

 

あの文学的な歌詞の世界観、ブラックサバスのようなヘヴィなギターサウンド

たびたび挟み込まれる津軽弁の語りやMC、白塗り坊主の鈴木さん ・・・。

 

強烈すぎる個性はどのように形成されていったのか?

 

意外にも和嶋さんは弘前の旧家の長男で、

ボンボンであることに子供の頃から悩んでいたという。

 

そんな自意識のねじれと歪みがひねくれにひねくれて、

ロックバンドとして昇華されていくところがこの本の白眉だが、

和嶋さんの場合はそれだけじゃ終わらない。

 

青春が過ぎた40代になっても50代になっても延々と悶々としていて、

徹夜で飲んだくれた後、高円寺の片隅で倒れてしまい、泣いたりしている。

 

しかしそんなねじれまくった自分の半生を記述する、

書き手としての和嶋さんは冷静だ。

一筋縄ではいかない男の自意識の転がっていく様を、結構淡々と書いている。

 

そこがこの本の文体に独特さを生み出し、味わい深いものにしている。

 

 

屈折くん

屈折くん

  • 作者:和嶋 慎治
  • 発売日: 2017/02/09
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

まだまだたくさん紹介したい本があるし、③のミュージシャンじゃ無い人が書いた音楽の本も面白い本がたくさんあるので、機会があればそのうち書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る④

■3日目
 
昨日も朝までレッドマーキー、オアシスエリア、パレスオブワンダーなどを流し、
朝の5時。
 
今ではテントサイトの脇からプリンスホテルの浴場に行けるが、
当時は宿泊客以外使えなかったように思う。
 
その代わり、今でもあるコインシャワーを皆つかっていた。
 
気温の低い朝の5時、コインシャワーのバルブをひねると、出てきたのは冷水…。
 
凍えそうになりながらもなんとか体を洗い、
震えながら出てくると目の前にはニコニコしながら
ハイテンションでソフトクリームを売る兄ちゃんが。
 
なぜかその兄ちゃんのテンションに乗って、
友達と二人でソフトクリームを食べながらテントに戻ったのでした。
 
寒かった…。
 
 
 
さて、この日はグリーンステージでリバティーンズから。
 
レッドのサンボマスターから轟音と大歓声が聞こえてくるのを横目に、
クラブスヌーザー以来のリバの4人を待った。
 
この時すでに解散説が流れていて、ちゃんと登場するかひやひやしたけれど、
ステージセッティングでマイクが左右に2本置かれていたのでほっとした。
 
しかしこの広いグリーンステージの左右にマイク2本は、
このバンドには広すぎたと思う。
 
クラブスヌーザーで、リキッドルームの狭いステージで
マイクを取り合うようにして歌ったステージを見ているので、
どうしてもダイナミズムに欠ける印象になってしまった。
 
 
 
そのままグリーンステージに残り、JET
この年、いかにロックンロール・リヴァイバルが
ムーブメントだったのかがわかりますね。
 
もちろんハイライトは『Are you gonna be my girl?』
この年のiPodのCMに使われ、iPodもJETも世界的に有名にした曲だ。
 
 
 
そして、フジロックに行く前から一番楽しみにしていたのは、The White Stripes
 
私的にはロックンロール・リヴァイバルムーブメントの真打で、
JET同様、『seven nation army』がムーブメントを代表する曲となっていた。
 
夫婦なのか、姉弟なのか、その当時はわからなかった謎めいた二人。
 
二人を間近で見たくて、前列4列目くらいまで行った。
 
アンプの上に像の置物が置いてある。
 
二人登場。いつもの紅白の衣装。メグは裸足だ。
 
ライブが始まってからはもう熱狂の渦で、あまり覚えていない。
 
ストライプスはその後全てのアルバムを聞きこんだし、
Janisでブート盤も借りて聞き込んだ。
 
カバーしているブルーズの名曲にもさかのぼり、
リスニングライフを広げてくれた、本当に思い出に残るバンドだ。
 
 
 
さて、例のアレ、モリッシーだ。
 
The Smithのフロントマンであるモリッシーは、
気難しい変人としても知られていたが、
どういう理由かは覚えていないが、直前にドタキャンしていた。
 
急に穴の開いた3日目の大トリの枠がどうなるのか、
何もアナウンスがないままだったので、興味本位の人も含めて、
結構多くの人、が集まっていた。
 
 
 
そして…
 
 
 
日高大将のドタキャンのお詫びとともに呼び込まれ、
威勢よく入ってきたのはスミスのコピーバンドThese Charming men
(もちろんスミスの名曲『This Charming man』のもじり・・・)
 
 
最初何が起きているのかわからず、あぜんとしていた聴衆も、
スミスのヒットメドレーを始めるおっさんを目の前にして、
スマッシュの苦肉の対応と、
日高大将の苦し紛れのユーモアをようやく理解し、
あるものは起こりながらホワイトのベルセバに流れ、
あるものはチャーメンに暖かい声援を送っていた。
 
(数で言うとほとんどの人はベルセバに大移動して、すぐに閑散となった)
 
私はというと、どうしたか覚えていない…
最後の夜遊びのために、一回テントに戻ったような…
 
 
 
さて、今年のフジロック最後の演目、
大トリの後のクロージングは渋さ知らズオーケストラ
 
皆で見ましたが、寺山修司の人形桟敷のような白塗りの舞踏集団がいたり、
かなりカオスなステージだった。
 
同行メンバーのバイトの先輩?が渋さのメンバーで、
ギターかなんかを弾いていたような。
 
 
 
そんなこんなでフジロックは終わってしまいました。
 
 
 
翌日の撤収も当然のごとくサイト閉鎖ギリギリになってしまい、
係員に促されながら苗場を後にした僕ら。
 
車中ではベストアクトを言い合ったりして話も盛り上がり、
行く前より皆と仲良くなれた気がしましたが、
女性メンバーは都内に入ると下北沢につく前に、
思い思いの場所で降りていき、
一目散に帰って行きました・・・。
 
残った男性メンバーで車を返し、
ファーストキッチンでダラダラと感想などを言い合いながら夜まで過ごし、
帰りました。
 
 
100円のビニールカッパが役に立たなかったり、
足が疲れたり色々大変だったことはありましたが、
フジロックの楽しさにどっぷりつかってしまった2004年。
 
 
ここから、2000年代を通して、フェス人生が始まるのでした…。
 
 
 

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る③

■2日目
 
14時からのフランツ・フェルディナンド22-20Sがかぶってしまった。
 
友達は22-20Sにいったが、私はフランツを見にグリーンへ。
 
 
 
先だってリリースされていたフランツフェルディナンドの1stはポップでダンサブル、
それでいて非常に洗練されたサウンドで、
一連のロックンロール・リヴァイバルの中でも一味違う、という感じだった。
 
若さや勢いだけではない、技術や洗練というか。
サカナクションを初めて知った時にも同じように感じた感覚。
 
定刻ぴったりに登場したフランツのパフォーマンスは、
3日間を通して一番印象に残るものだった。
 
徹底したショウマンシップ。
キメキメのポージング、メンバー紹介。
 
演奏も上手で、若手バンドとは思えない百戦錬磨のステージで、
日本の観客を魅了した。
 
代表曲の『Take me out』以外の曲も実際にライブで聴くと
聞きどころがたくさんあることがわかり、ますますファンになった。
 
 
 
その後のBen Harperはフランツの余韻であまり思い出せない…
 
同行のメンバーたちは一番楽しみにしていた人が多く、皆で見たのは覚えているけど。
 
レッド・ツェッペリンの『移民の歌』を曲間に挟むパフォーマンスをしていたような。
 
 
 
またまたグリーンでコートニー・ラヴ
言わずと知れたカート・コヴァーンの妻(未亡人)だが、
あまりライブの情報がなく、どんなステージなのか興味があった。
 
しかし…冒頭からなんか不機嫌そうに喚き散らしながら登場したコートニー。
 
譜面台に置いた歌詞カードが風でめくれるのに苛立ちながら歌っていたが、
ひどいパフォーマンスだった。
 
最初はそういうキャラなので演出なのかと思っていたが、全くノレず。
数曲で後にした。
 
 
 
 
こちらはタイトな演奏、キレのあるボーカルで完全に女性ボーカル対決、
軍配アリという感じでした。
 
 
 
忌野清志郎は名前だけ知っていたが、
曲はほとんど聞いたことがなく(昼間のパパは男だぜ、くらい)、
正直なぜこのフジロックのラインナップに入っているのか、
よくわかっていなかった。
 
その後、フジロック(というか大将)と清志郎さんのつながりや
RCサクセションから続くその活動、名曲の数々を知るほどに、
清志郎こそフジロックを象徴する存在であることが実感されたけれど、
その時はついでに見ようかな~、くらいのノリで見た。
 
 
が。
 
 
感動した。
一曲も聞いたことがない曲ばかりだったが、
なぜか耳になじみ深いメロディと言葉。
 
歌詞がはっきりと聞こえるのもその一員であるように思う。
例のマントを使ったステージ・ショウなども含めて、清志郎に魅了されてしまった。
帰ってからはたくさん聞いた。
 
翌年のフジロックでももちろん観たが、
まさかそれが最後になってしまうなんて思わなかった…。
 
 
 
 
当時ヒットしていたアルバム『come with us』からの
『star guiter』『it bigan in Afirika』ももちろん盛り上がったが、
やはり最高潮は『Hey girl,Hey boy』。
 
その後ケミカルは何度も見るけれど、やはりこの最初の時が一番印象深い。
 
 
 
この日の夜もオアシスエリアを朝までたむろしていたと思う。
 
Armand Van HeldenのDJを見ようとレッドマーキーの後ろの方に行ったら、
数人でビールを飲みながら騒いでいた英国人の男たちが、
私が着ていた下北沢の古着屋で適当に選んだ、
500円のサウサンプトンのサッカーシャツを見て大喜びし出した。
 
彼らはなんとサウサンプトン出身の人達との事。
 
日本まで来て、サウサンプトンを知っている日本人がいた事に
びっくりしたようだった。
 
ジェームス・ビーティ―の名前を出すと、なお喜び、
レッドのテントの後ろのところで大盛り上がりした。
 
ビーティ―しか知らなかったけど、とっさに出てきてよかった~。

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る②

■1日目
 
テントサイトを降りてオアシスエリアを突っ切り、
レッドマーキーの後ろから入ってステージを覗いてみると、
 
唯一知ってて好きだった曲『君という花』が見れて良かった。
 
 
 
終了後、すぐにグリーンに移動し、ザ・ルースターズ
開演の前に日高さんが出てきて熱い呼び込みをしていた。
 
前の方は盛り上がっていたけど、正直、
ボーカルの大江慎也の外見がとてもロックミュージシャンに見えないおっさんで、
ジャンプも苦しそうにしているのを見てちょっとカッコ悪いかも…と思ってしまった。
 
私もまだ若く、良さがあまりわからなかったのだ。
 
 
 
数曲でグリーンを後にしてまたレッド、The Zutons
 
リバプールの新人バンド勢を集めた企画コンピ盤(The Coralがシーンの中心でした)で知ってて曲がいいと思っていたけど、こちらはステージもかっこよかった。
 
皆で白いブーケのようなそろいの衣装を着ていたような。
 
 
 
最後、数曲は泣く泣く離れ、林を抜けてグリーンステージに舞い戻り、PJ Harvey
 
真っ赤なタイトワンピースにギターを抱えて登場。どすの聞いた声が印象的だった。
 
 
 
グリーンで待っていると、夜も更けて空も紫色になってきた。
苗場の天気は変わりやすい。
 
あっという間に雲が出てきた。
 
なんとなく不穏な空気の中、半ば伝説となっていたThe Pixiesがその姿を現す。
 
ほ、ほんとにいるんだ…そしてやっぱりでかい!
ブラック・フランシスは本当に巨体だった。
 
暗闇に震えるギターの轟音。
 
『Where is my mind?』の緊張感、
『Debaser』の爆発、これぞフジロックというライブを見た。
 
最初のフジロックマジック。
天気と時間とステージと、観客の期待と、その日の演奏。
それが全てマッチしたときの奇跡。
 
 
 
レッドではUSオルタナの生ける伝説の名演を後に、
そのピクシーズを絶対聞いて育ったであろう、
90年代の米英ギターサウンドを受け継ぐバンド、スーパーカー
 
前半はあまりメジャーじゃない曲を中心にプレイし、
会場も少し静かだったが、
映画『ピンポン』の主題歌になったことで一躍バンドの存在を有名にした
『Strobolights』を皮切りに、『YUMEGIWA LAST BOY]』『Story Writer』
などで畳みかけ、最後は大盛り上がり。
 
 
 
そしてグリーンに戻り、ルー・リード
 
正直この時はヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の1stアルバム
(例のバナナのやつ)しか聞いたことがなく、
その曲やらないかなあ、と思いながら聞いていたが、
確かヴェルヴェッツの曲は『Pale blue eyes』『sweet jane』の2曲しか
やらなかったと思う。
 
しかしそれでもよかった。
3日通し券しかなくて観客がものすごく少なかった04年、
ルー・リードのライブ中のグリーンステージは涼しくて
ちょっと湿った夜風が心地よく、今では信じられないが、
PA後方くらいの坂になった芝生にごろんと寝ころびながら聞いた。
 
 
フジロックに来てよかったと思った。
 
 
そんなまったりしたグリーンステージに別れを告げ、
後ろ髪惹かれつつもホワイトステージに向かうことにした。
 
 
 
Basement Jaxxが見たかったのだ。
 
しかし初めてのフジロック疲労困憊、
グリーンステージからホワイトステージまでもこんなに距離があると思わず、
テンションも下がってきてしまった。足の裏も痛い…。
 
ほうほうのていでたどり着いたホワイトステージ。
ベースメントジャックスはもう始まっていた。
 
出たばかりのアルバムの1曲目『Good Luck』を
ゲストボーカルの黒人女性が激しく動き回りながら歌っており、
会場は爆発したように熱狂していた。
 
それを見た瞬間、今までの疲れがふっとんだ。
 
足の裏の痛みもすっかり忘れ、僕も熱狂のステージの前の方に走り出した。
 
 
今思い返しても、この時ほど、いわゆる「テンションぶち上り」を
体験したことはなかったように思う。
 
少なくとも今ではとても無理だ。
 
あんなに疲れた体が音楽だけでMaxボルテージに回復することはもうないと思う。
 
 
 
初めてのフジロックの一日目、大満足で終え、
しばらく深夜のレッドマーキーを冷かしながらオアシスエリアをうろついていた。
 
その頃は岩盤のDJブースがオアシスエリアのはじの方、
KARMAの出店の隣の窪んだ場所にあって、
ゲリラ的に色んな人がDJをしていたのだ。
 
そこで休んでいたら、元ブランキ―ジェットシティ、
その時は確かロザリオスで出演していたドラマーの中村達也さんがDJをしていた。
 
 
ブランキ―大好き少年だった私は、あの強面な中村さんがDJもやるんだ、
と意外に思いつつ前列の方に詰めかけると、ふいにブランキ―『D・I・Jのピストル』をスピン、
そこにいた何人かの人達は大喜びしていた。
 
もちろん私も。なんか得した気分になった。