ブルースが来るぜ! 君は騒音寺を知っているか?
2007〜8年頃だったと思うが、私は騒音寺というバンドにどハマりして、
東京近郊でライブがある時はほぼ必ず行く、
という時期が1年ちょっとくらいあった。
騒音寺を知ったきっかけは確か、テレビブロスで紹介されてる記事を目にしたことだと思う。
(そう言えばこの頃はテレビブロスも面白くて、毎号買っていた)
その記事はロック写真家・ライターの久保憲司さんが書いていて、
「騒音寺を尊敬する岸田繁くんがプロデュースすれば、有名になっていいのに。」
との一文が心に残っていた私は、
ある日お茶の水JANISに行った際、騒音寺のCDを借りて聞いてみたのである。
一聴して度肝を抜かれた。
まるでストゥージズにローリング・ストーンズ、ディープ・パープルをミキサーにぶち込んで粗挽きにしたような、骨太なロックンロール。
それでいてとんでもないオリジナリティ。
昔話を題材にした『道成寺』や『狐か狸か』、
民謡をアレンジした『乱調秋田音頭』などの、
ディープな日本のモチーフ。
琵琶法師の説法のような語りのバックで、フリーキーなリフが鳴り続ける『道成寺』や、
訛りが上手すぎて何を言ってるのか本当にわからない『乱調秋田音頭』など、
こんなバンド今まであった!?
さすが京都、恐るべし!
と、一瞬で好きになり、それまで出ていたCDを一気に買った。
同時に、ライブにも行き始めた。
最初に見たのは川崎クラブチッタの、新年のイベントだったように思う。
以降は東京でのライブは下北沢club cueと、新宿red clothが多かったと思うが、
時には千葉や横浜にも遠征した。
ライブもすごかった。
演奏ももちろん最高だったが、ナベさんのエンターテイナーっぷりが輪をかけてすごい。
見上げる長身に痩躯の長髪、ド派手なジャンプスーツでナベさんが登場すると、
騒音寺目当てでない客も全員が目を奪われた。
呆気にとられている間に、ぶちかますロックンロール。
ライブの一曲目は『社会の窓から』『Karasu On My Shoulder』あたりが多かったと思う。
そして2、3曲かますと今度は、ロックスター然としたルックスと裏腹に、
関西弁の鉄板MCで、必ずひと笑いとる。
それでフロアにいる観客は完全に騒音寺の虜になっていた。
特にTHE NEATBEATSとの対バン時の真鍋さんとの掛け合いは、
並の芸人よりよっぽど面白かった(笑)。
そんなこんなで騒音寺にどハマりした私は、
1〜2ヶ月に一度くらい、東京近郊のライブに通う、という生活を1年くらい続けた。
横浜の中華街近くのライブハウス(名前忘れた)の時は、
ナベさんが中華街で100円で買ったという、1回拭いたら壊れたハーモニカのおもちゃを、
ナベさんが投げたのをキャッチした。
その後、フロアの後方で休もうとして空いてるところに腰掛けたら、
隣にナベさんが座っていて、
「わあ!びっくりした!!」と言ったら、
「おるで!」と言われたこともある。
またある時は、ステージ中「みんなやって欲しい曲ある?」と問いかけるナベさんに、
どうしても『教訓1』(加川良のカバー)をリクエストしたかったが、
とっさに言えなかったことも。あれはred clothだったかな。
対バンのバンド達も、いいバンドがいっぱいあった。
やはり一番はTHE NEATBEATS。
エンターテインメント性では騒音寺に全く引けを取らないが、
こちらもゲキ渋なロックンロールバンドだ。
真鍋さんは眉を動かすだけで笑いを取れた(笑)
ザ・サイクロンズ、夜のストレンジャーズ、片山ブレイカーズ、スクービー・ドゥー、
ザ50回転ズなど、いい対バンをいっぱい見た。
まだ全然売れてない頃の毛皮のマリーズも見たな。
なんかのイベントで騒音寺の前にやってた、サミー前田という方の、
昭和歌謡やGSだけを使ったDJもめちゃくちゃカッコ良くて目からうろこだった。
そして2008年、私の騒音寺追っかけライフはクライマックスを迎える。
7月、フジロック出演決定。
12月、ツアーファイナル渋谷クワトロが決定。
私の胸は高鳴った。
特にフジロックは毎年行っていたので、ついにフジロックと騒音寺が交差する時が来るのか、
と胸を踊らせた。
当日。
初日の苗場食堂(裏の特設ステージ)。
ここは櫓のような場所にバンドがすし詰めになって演奏する、
かなり狭いステージだったが、騒音寺にお誂え向きだと思った。
オアシスエリアからグリーンステージへの通路でもあるので、
通りがかりの人たちの度肝を抜いてやれ!
確かグリーンステージのメインアクトである、My Bloody Valentaineの真裏だったと思う。
同行してた友達は全員そっちに行ってしまったがそんなの関係ない。
そんな足下ばかり向いてるバンドのことなんかどうでもいい。
最高のロックンロール・ショウが待っているのだから。
騒音寺は期待通りのライブを見せてくれた。
歴代の苗場食堂のステージの中でも、屈指の人入りだったように思う。
狭い櫓から落ちそうなくらい身を乗り出して、
フジロッカー達を煽っていた。
ライブ終わり、興奮冷めやらぬ中、苗場食堂の櫓の裏側あたりでたたずんでいると、
終演後、楽屋?で一息ついている騒音寺メンバー達の姿が。
するとくるりの佐藤さんが、全員分のビールを両手に抱えながら入っていくのが見えた。
そして12月のクワトロ。
これはその年に出たベストアルバム『THE BEST OF SOーON⭐︎G』ツアーのファイナルだったと思う。
会場に入り、改めて「こんな広いところでワンマンするのか」と感慨深かった。
まず、フラワーカンパニーズが騒音寺の『社会の窓から』を演奏。
(これもめちゃくちゃカッコよかった!)
そして騒音寺の面々が入場。
大団円だった。
セットリストも、ステージも最高のものだった。
クワトロに出るって、こんなにすごい事だったのかと実感した。
最高すぎて、その後ちょっと燃え尽きてしまった。
年が明けてから私は、騒音寺のライブから足が遠のいてしまった。
ツアーが終わってちょっとライブが減ったからだったかもしれない。
でも騒音寺はいまだに聴くとかっこいいし、
騒音寺を追っかけた中で知ったバンドも今でも好きだし、
今はもうできない、貴重な日々だったと思う。
最後に私の好きな騒音寺15曲。
- キョート・シティ・ブギ
- 二グロの血
- 狐か狸か
- 御行儀悪いブルース
- 社会の窓から
- ガキのくせに
- 道成寺
- 乱調秋田音頭
- Brandnew Guiter Blues
- Rock and Roll(will never die)
- ボディー・トーク・シャッフル
- 教訓1
- 花のセブンティーン
- ガタゴト(タムさんが歌う曲!)
- 一生浮かばれぬ
『ロックの神様』久保憲司とSNOOZER誌のディスクガイドを熟読してた
大学の頃、『SNOOZER』という音楽雑誌を愛読していた。
今もサインマグなどの媒体で活躍している、田中宗一郎氏が編集長だった洋楽誌で、
ロッキンオンと似ていたが、よりトガったアーティストがセレクトされる傾向が強く、
ジャンルもロックだけじゃなくテクノやハウスなどのダンスミュージック系も多かった。
また、特定の日本のアーティストも取り上げていた。
つまりはタナソウ氏の好みが直接的に反映された雑誌で、
気に入らないアーティストは徹底的にこき下ろされていた。
また、誌面の随所にロッキンオン誌への対抗意識が露呈していて、
それもおもしろポイントだった。
CLUB SNOOZERというDJイベントもあって、それも数回行ったことがある。
確か最初は新宿コマ劇場裏にあった時代のLIQUIDROOMでやっていて、
移転後はいろいろな場所でやっていた。
SNOOZER誌もクラスヌも思い出がいっぱいだ。
ここで知った音楽は本当にたくさんある。
ロッキンオン的な正統ロックリスナー(オアシス、コールドプレイなど)だった私だが、
SNOOZERと出会って随分ジャンルが広がった。
BOOM BOOM SATELITES、HERBERT、The Avalanchesなんかは
SNOOZER読んでなかったら聞かなかったと思う。
WINO(JUN)、Jerry Lee PhantomなんかもSNOOZERでしか盛り上がってなかったような。
さて、そんなSNOOZER誌で映画批評のコラムを持っていたのが、
ロック・フォトグラファーの久保賢司さんだ。
クボケンさんは17歳で単身ロンドンに渡り、
ロック雑誌の編集部に単身乗り込んで写真の仕事を得て、
数々の伝説のライブ現場に立ち会い・・・
という大変にアクティブな人で、
帰国後はライターやイベントのオーガナイザーとしても活躍している。
SMASHの日高さんが初めてグラストンベリーを視察に来たときにも同行して、
通訳を兼ねつつちゃっかり遊び倒したり、
ジーザス・アンド・メリーチェーンの数人しかいない最初期のライブを目撃したり、
セカンド・サマー・オブ・ラブを現地で体験して、
帰国してからは芝浦GOLDでクラブ・ヴィーナスというアシッド・ハウスの
イベントを始めて、デリック・メイやアンドリュー・ウェザオールを呼んだり、
そのフットワークで数々の伝説にふらりと立ち会っている、
ロック現代史の生き証人のような人である。
そんなクボケンさんの音楽エッセイ、『ロックの神様』を私は大好きで、
大学時代は何度も読み返した。
クボケンさんは渡英前、パンクバンドをやっていて、
憧れていた町田町蔵のライブの前座をしたりしている。
つくづくすごい行動力の人だ。
この本の巻末に、クボケンさんとタナソウさんの対談が収録されている。
二人の出会いはタナソウさんがロッキンオン誌の副編集長だった頃、
クボケンさんにプライマル・スクリームの記事を書いてもらったときだそう。
タナソウさんがクボケンさんの書いた文章にめっちゃ赤字を入れたところ、
その記事が載ったロッキンオンを見たクボケンさんの友達から、
「お前、めっちゃ文章うまいねんな」
とめっちゃ電話かかってきた、というエピソードが好きだ。
また、タナソウさんは入稿前の忙しい時期にしょっちゅう行方をくらましていたらしく、
後になって聞くと、
「海を見に行ってた」
と答えているのを見て、「副編集長なのにいいのかなな」と思ってた、
というエピソードも(笑)。
同じ時期にSNOOZER編集部が出したディスクガイド、
『The Essencial Disc Guide 2004 あなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコード』も熟読した。
2003年のSNOOZER誌選出のベスト50アルバムを紹介し、それぞれのアルバムについて、
これが好きだったらこれも聞くべき、もしくは、
このアルバムの参照元となった過去の名作、
などが芋づる式に紹介されている、なかなか画期的な構成のディスクガイドだ。
例えば私の大好きだったThe Rapture『Echoes』に紐づけられているのは、
PUBLIC IMAGE LTD. 『Metal Box(Second Edition)』
THE KINGSMEN 『The very vest of the Kingsmen』
PSYCHE/BFC 『Elements 1989ー1990』
ROXY MUSIC 『For your Pleasure』
MU『afro finger and gel』
CAN 『Future Days』
一見脈絡なさそうなアルバムも混じっているが、
そこに文脈を見つけ、結びつけるのがタナソウさんの腕の見せ所。
これを読んで当時の私のJANIS通いは加速するのだった・・・
と言いつつこれを書きながら思ったが、上記のリストで実際に聞いてみたのって、
キングスメンとMUだけだな・・・
極私的・平成の日本を代表する50曲
私は1982年生まれなので、平成元年の時、7歳。
そして平成が終わった時、36歳。
と言うことは私が聞いてきた音楽、
好きな音楽はほぼ平成の音楽ということになる。
ふと思い立って、私の個人的な好みによる、
平成の日本を代表する50曲を一気に選んでみた。
一般的な50曲、これを読んでる方の選ぶ50曲とは違っていると思うが、
それはご容赦願いたい。
その乖離にこそ、私の人生が滲み出ているのだから。
極私的・平成の日本を代表する50曲
さよなら人類/たま
物心ついて初めて好きになった曲。今見返すと危険さが伝わってくる。
愛のために/奥田民生
Hey×3を観て、民生と浜ちゃんの古着に憧れていた。
これか天才テレビくんに使われてた『You You You』か迷った。
悲しみは雪のように/浜田省吾
ハマショーのように怒りや貧しさをストレートに歌う人って、今はいない。
世界が終わるまでは/WANDS
言わずと知れた、スラムダンクのED。
Alone/B’z
95年くらいまでのB'zは名曲揃い。
Love Train/TM network
GLAYの苦労話は好きでした。『REVIEW』は傑作アルバム。
悲しきASIAN BOY /The Yellow Monkey
初めて買ったシングルCD。もちろん短冊型。
Over drive /ジュディ・アンド・マリー
YUKIはもちろんのこと、TAKUYAも結構好きでした
僕の天使マリ/スピッツ
ロビンソンあたりでスピッツを知って、遡って知った名曲
多くのロック少年と同じく、電気を入り口にテクノを知った。
Candy house/Thee Michelle Gun Elephant
NHKーFM『ミュージックスクエア』でこの曲をはじめ、多くの名曲と出会った。
ガソリンの揺れ方/Blankey Jet City
高校時代はブランキーばかり聞いてた。ライブに間に合わず泣
いかれたBABY /フィッシュマンズ
いなくなってから知った。何にも似ていない、孤高の名曲。
この曲こそ90年代を代表する曲。あらゆる意味で。
Playboy playgirl/ピチカート・ファイヴ
田舎の中1だったので渋谷系の意味はわからなかったけど、(↓に続く)
プライマル/オリジナル・ラヴ
渋谷系の曲はなぜか心に引っ掛かった。そして今も聞き返している。
I’m knocking on the door/L⇄R
中学の時、初めて行ったカラオケで歌ったら意外と難しくて玉砕した。
多くのロック少年と同じく、オザケンからのスチャダラでヒップホップを知った。
これも95年!
今宵の月のように/エレファントカシマシ
この頃ポップジャムによく出ていたような気がする。
SHAKE /SMAP
ジャニーズ曲で唯一ランクイン。歌も踊りもこの頃のキムタクも大好き。
Innocent world/Mr children
ミスチルはあまり好きでは無いが、この曲の爽快さには抗えない。
歩いて帰ろう/斉藤和義
いつの間にか知って、じわじわ好きになった。
LADY MADONNA/LOVE PHYCHEDELICO
大学受験の帰りにCDを買って聴きながら帰った。3時間、ずっとリピートした。
当時、ロッキンオンの山崎編集長もDJでこの曲を掛けてた。
なんだかんだで一番ライブを観たのはくるりかも。
Lucky/supercar
青森の宝物です。淳治の歌詞、文章も好き。
NUM-AMI-DABUTZ/ナンバーガール
会社員のような外見に衝撃。ダイナソーJrみたいな音楽をやっててさらに衝撃。
海行かば山ゆかば踊るかばね/ソウルフラワーユニオン
クラブスヌーザーでよくかかってた思い出の曲。
青春狂走曲/サニーデイサービス
失恋した時、唯一聴けた音楽がサニーデイ。曽我部さんの声に憧れてる。
Point of view point/Cornelius
東京した初めてライブに行ったのがコーネリアス。Tシャツも大事に着た。
Music Lovers/The Jerry Lee Phantom
これもクラブスヌーザーの思い出。
エイリアンズ/キリンジ
だいぶ後になってからハマった。当時は子供だったということか・・・
発光体/ゆらゆら帝国
ここからナゲッツなどのサイケガレージ沼にしばらくハマる
Rock And Roll(Will Never Die)/騒音寺
2008年頃、騒音寺を追いかけてライブハウスに通いまくっていた。
深夜高速/フラワーカンパニーズ
騒音寺のライブにケイスケさんが出てきた時、盛り上がったなあ。
フィッシュマンズは誰も似てないと書いたけど、私の中ではちょっと似た存在。
高嶺の花子さん/Back number
自分ごととしてはもう聴けないけど、それはそれとしていい曲。
アルクアラウンド/サカナクション
フジロックで初めて観て、久々に衝撃を受けた。その後全曲聞いた。
肉体関係part2 逆featuringクレイジーケンバンド/RHYMESTER
歌詞もPVも最高。宇多丸さんのラジオもよく聞いた。
令和の、ヒップホップ版の、電気グルーヴだと思う。イノベイター。
SUN/星野源
この曲で星野源のことも、ブラックミュージックのこともグッと好きになった。
明日も/SHISHAMO
意外とどハマりした。ストレートに元気がもらえる曲。
(Love is like a)Heat Wave/The Learners
チャーべさんのコンセプト、マリーさんのルックス、最高なバンドだ!
台風銀座/台風クラブ
最近インディーロックはほとんど聴いてないが、それでもこのバンドには心惹かれた。
Summer Soul/cero
ceroは次世代のYMOと言ったら言い過ぎ?だって3人とも天才だし。
KAWASAKI DRIFT/BAD HOP
こんなリアルでストレートな曲、もうロックには無い。サウンドにも声にもシビれる。
LEMON /米津玄師
平成を締めくくるにふさわしい、大名曲。紅白見て感動したの初めて。
ミュージシャンの書く文章にはリズムとメロディがある。 私のお勧めする「音楽本」5選。
音楽本を読むのが大好きだ。
音楽本といっても、いろいろな本があると思うが、
私の興味範囲の音楽本を大まかに定義すると次のようになる。
①ミュージシャンが書いた、自伝、または音楽に関する本
②ミュージシャンが書いた、音楽とは関係ないジャンルの本
③ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、音楽に関する本
④ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、
音楽とは関係ないジャンルの本
※音楽のジャンルはPOPS、ロックが多いですが、特に問わない。
※スコアや楽譜、楽器の教則本などは今回の定義からは外す。
④はもはや音楽本とは言えないかもしれないが・・・。
書店の本棚に一番多いのは③ではないだろうか。
音楽批評家の評論や、ディスクガイド的な本も含まれるので、種類も数も多いと思う。
ライターや批評家の人たちは文章を書くのが本業であるので、
文章がうまいのは当たり前だし、資料的価値がある本も多く、
③のカテゴリーは当たり外れが少ない印象がある。
しかし、今日私が推したいのは①のカテゴリー、ミュージシャンが書いた本だ。
なぜなら、ミュージシャンの人生は一般人と比べて山あり谷あり、
普通の人生では体験しないようなことをたくさん経験してきた人が多く、
そもそも書いてるネタが面白い。
さらに、ミュージシャンは文章を書くことが本業ではないが、
日々、作詞を通じて言葉と向き合っているからか、
またはメロディやリズムに敏感だからか、
本当に独特な、その人だけが持つ個性的なリズムの文体を持っている方が多く、
それこそが私が①カテゴリーの音楽本の最大の魅力だと私は思う。
そんな私が愛してやまない①カテゴリーの音楽本を何冊か紹介する。
小西康陽『これは恋ではない 小西康陽のコラム1984−1996』
私が思うに、日本のミュージシャンで一番の名文家は小西康陽さんである。
まさに小西さんのDJのように、都会的で、洒脱でスムーズだが、
時々聞き流すことの出来ないフックが随所に挟み込まれている文体。
そして語られていく愛するものたちへのフェティッシュなこだわり。
レコード、名画座、女性、バー、etc・・・
粋な都会人的な昭和のエッセイの名手たちの系譜は、
実は小西さんにこそ引き継がれていると思う。
このバラエティ・ブック3部作は3冊とも、
とにかく日記もエッセイもショートストーリーも、全てが抜群に面白いが、
後半段々人生の孤独感や寂寥感がに滲み出てきて、
それがご本人の今の気分なのか、少し暗い印象になっていくのに対し、
1冊目のこの本はまだ華やかな都会ライフが描かれていて、
まるでピチカート・ファイヴの歌詞みたいだ、と思ったり。
横山剣『マイ・スタンダード』
独特のリズムとメロディが備わった、
ミュージシャンならではの個性的な文体という点において、
クレイジーケンバンドのボーカル・横山剣さんの右に出るものはいない。
彼の思い出話の中に出てくるディテールの喚起力は凄まじい。
例えばこんな一文。
かつて本牧の街が目を覚ますのはィ夜の深い時間だった。
山手署の交差点を小港橋方面に進めば、
リキシャ・ルームといった老舗のナイトスポットが
深海の発光体みたいな淡く儚い光をポワーンと放ちながら
幻影のように浮かんでる。
なんだか現実味が全くないんだ。
それとは対照的に、通りの反対側のディスコ・リンディーのネオンだけが、
まるで返還前の沖縄ゴザの歓楽街みたいなギラギラで絶倫な光を放っていた。
こんな描写がそこら中に溢れている。
剣さんの文章は固有名詞やディテールの列挙に執拗にこだわることで、
単なる事実や出来事の記録ではなく、
むしろその時、そこに流れていた空気感、質感を捕まえ、立ち上がらせることに見事に成功している。
あの独特な話し方とも全く別の、オリジナルな文体で語られる本牧、原宿、六本木・・・
一度読んだら病みつきになってしまう、そんな中毒性の高い文章だ。
これはシリーズでもう何冊か出ているが、
TBSラジオで放送されていた同名のラジオ番組で菊地さんが喋った内容を、
ほぼそのまま文章にした本だ。
だから厳密には菊池さんが書いた文章では無い。
菊池さんは他にも数多くの著作があり、そちらの文章も大変面白いのだが、
なぜこの本を取り上げたかというと、私はこの本を読んで驚いたからだ。
当初、この本は菊池さんが話した言葉であり、書いた言葉では無いので、
ミュージシャン独特の文体を愛好する私はそれほど期待していなかった。
このラジオ番組が好きだったので、聞き逃した回のエピソードが読めればなあ、
ぐらいの気持ちで買ったのだが。
しかし、私の低い期待に反して、この本は本として、抜群に面白かった。
つまり、話し言葉を書き起こしているだけなのに、
ミュージシャンの独特な文体として十分に成立していた。
失礼ながらこのラジオ番組での菊地さんは、
思いつきというか適当というか、
与太話のような風情でいつも話しているので、
それを書き起こしたときにこんなに個性的で
読み応えのある文章になるとは思いもしなかった。
文字で読んでも面白いことを、
あんな思いつきのようにペラペラと話していた菊地さんの凄さを実感した。
言文一致とでもいうのか、
言葉に身体性があるというか、
むしろ菊地さん自体が言葉で出来ているような、
そんな稀有な人です。
村上”ポンタ”秀一『自暴自伝』
言わずと知れた日本を代表するドラマーであり、
70年代から数々の名曲に参加してきた、セッションミュージシャンのポンタさん。
この本はそんなポンタさんの伝説の名曲、名盤への華麗なる参加遍歴と、
豪快すぎるキャラクターと逸話の数々を存分に堪能できる自伝だ。
ポンタさんの一切立ち止まることなく、
あらゆるものをなぎ倒して前に進むような半生を通じて、
はっぴぃえんど、シュガーベイブ、ユーミンと盛り上がっていく70年代のニューミュージック、それらの人材が楽曲を提供した80年代のアイドルブームの隆盛と、
当時の興奮が臨場感を持って伝わってくる。
全盛期は都内のスタジオを1日何軒もはしごして走り回っていたという
ポンタさんの後ろについて回って、
数々の伝説の名曲のレコーディングに立ち会った気分になれる一冊だ。
和嶋慎治『屈折くん』
青森が誇る、知る人ぞ知るロックバンド、人間椅子のギター&ボーカル、
和嶋慎治さんの自伝。
あの文学的な歌詞の世界観、ブラックサバスのようなヘヴィなギターサウンド、
たびたび挟み込まれる津軽弁の語りやMC、白塗り坊主の鈴木さん ・・・。
強烈すぎる個性はどのように形成されていったのか?
意外にも和嶋さんは弘前の旧家の長男で、
ボンボンであることに子供の頃から悩んでいたという。
そんな自意識のねじれと歪みがひねくれにひねくれて、
ロックバンドとして昇華されていくところがこの本の白眉だが、
和嶋さんの場合はそれだけじゃ終わらない。
青春が過ぎた40代になっても50代になっても延々と悶々としていて、
徹夜で飲んだくれた後、高円寺の片隅で倒れてしまい、泣いたりしている。
しかしそんなねじれまくった自分の半生を記述する、
書き手としての和嶋さんは冷静だ。
一筋縄ではいかない男の自意識の転がっていく様を、結構淡々と書いている。
そこがこの本の文体に独特さを生み出し、味わい深いものにしている。
まだまだたくさん紹介したい本があるし、③のミュージシャンじゃ無い人が書いた音楽の本も面白い本がたくさんあるので、機会があればそのうち書きたい。