Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る②

■1日目
 
テントサイトを降りてオアシスエリアを突っ切り、
レッドマーキーの後ろから入ってステージを覗いてみると、
 
唯一知ってて好きだった曲『君という花』が見れて良かった。
 
 
 
終了後、すぐにグリーンに移動し、ザ・ルースターズ
開演の前に日高さんが出てきて熱い呼び込みをしていた。
 
前の方は盛り上がっていたけど、正直、
ボーカルの大江慎也の外見がとてもロックミュージシャンに見えないおっさんで、
ジャンプも苦しそうにしているのを見てちょっとカッコ悪いかも…と思ってしまった。
 
私もまだ若く、良さがあまりわからなかったのだ。
 
 
 
数曲でグリーンを後にしてまたレッド、The Zutons
 
リバプールの新人バンド勢を集めた企画コンピ盤(The Coralがシーンの中心でした)で知ってて曲がいいと思っていたけど、こちらはステージもかっこよかった。
 
皆で白いブーケのようなそろいの衣装を着ていたような。
 
 
 
最後、数曲は泣く泣く離れ、林を抜けてグリーンステージに舞い戻り、PJ Harvey
 
真っ赤なタイトワンピースにギターを抱えて登場。どすの聞いた声が印象的だった。
 
 
 
グリーンで待っていると、夜も更けて空も紫色になってきた。
苗場の天気は変わりやすい。
 
あっという間に雲が出てきた。
 
なんとなく不穏な空気の中、半ば伝説となっていたThe Pixiesがその姿を現す。
 
ほ、ほんとにいるんだ…そしてやっぱりでかい!
ブラック・フランシスは本当に巨体だった。
 
暗闇に震えるギターの轟音。
 
『Where is my mind?』の緊張感、
『Debaser』の爆発、これぞフジロックというライブを見た。
 
最初のフジロックマジック。
天気と時間とステージと、観客の期待と、その日の演奏。
それが全てマッチしたときの奇跡。
 
 
 
レッドではUSオルタナの生ける伝説の名演を後に、
そのピクシーズを絶対聞いて育ったであろう、
90年代の米英ギターサウンドを受け継ぐバンド、スーパーカー
 
前半はあまりメジャーじゃない曲を中心にプレイし、
会場も少し静かだったが、
映画『ピンポン』の主題歌になったことで一躍バンドの存在を有名にした
『Strobolights』を皮切りに、『YUMEGIWA LAST BOY]』『Story Writer』
などで畳みかけ、最後は大盛り上がり。
 
 
 
そしてグリーンに戻り、ルー・リード
 
正直この時はヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の1stアルバム
(例のバナナのやつ)しか聞いたことがなく、
その曲やらないかなあ、と思いながら聞いていたが、
確かヴェルヴェッツの曲は『Pale blue eyes』『sweet jane』の2曲しか
やらなかったと思う。
 
しかしそれでもよかった。
3日通し券しかなくて観客がものすごく少なかった04年、
ルー・リードのライブ中のグリーンステージは涼しくて
ちょっと湿った夜風が心地よく、今では信じられないが、
PA後方くらいの坂になった芝生にごろんと寝ころびながら聞いた。
 
 
フジロックに来てよかったと思った。
 
 
そんなまったりしたグリーンステージに別れを告げ、
後ろ髪惹かれつつもホワイトステージに向かうことにした。
 
 
 
Basement Jaxxが見たかったのだ。
 
しかし初めてのフジロック疲労困憊、
グリーンステージからホワイトステージまでもこんなに距離があると思わず、
テンションも下がってきてしまった。足の裏も痛い…。
 
ほうほうのていでたどり着いたホワイトステージ。
ベースメントジャックスはもう始まっていた。
 
出たばかりのアルバムの1曲目『Good Luck』を
ゲストボーカルの黒人女性が激しく動き回りながら歌っており、
会場は爆発したように熱狂していた。
 
それを見た瞬間、今までの疲れがふっとんだ。
 
足の裏の痛みもすっかり忘れ、僕も熱狂のステージの前の方に走り出した。
 
 
今思い返しても、この時ほど、いわゆる「テンションぶち上り」を
体験したことはなかったように思う。
 
少なくとも今ではとても無理だ。
 
あんなに疲れた体が音楽だけでMaxボルテージに回復することはもうないと思う。
 
 
 
初めてのフジロックの一日目、大満足で終え、
しばらく深夜のレッドマーキーを冷かしながらオアシスエリアをうろついていた。
 
その頃は岩盤のDJブースがオアシスエリアのはじの方、
KARMAの出店の隣の窪んだ場所にあって、
ゲリラ的に色んな人がDJをしていたのだ。
 
そこで休んでいたら、元ブランキ―ジェットシティ、
その時は確かロザリオスで出演していたドラマーの中村達也さんがDJをしていた。
 
 
ブランキ―大好き少年だった私は、あの強面な中村さんがDJもやるんだ、
と意外に思いつつ前列の方に詰めかけると、ふいにブランキ―『D・I・Jのピストル』をスピン、
そこにいた何人かの人達は大喜びしていた。
 
もちろん私も。なんか得した気分になった。