Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る③

■2日目
 
14時からのフランツ・フェルディナンド22-20Sがかぶってしまった。
 
友達は22-20Sにいったが、私はフランツを見にグリーンへ。
 
 
 
先だってリリースされていたフランツフェルディナンドの1stはポップでダンサブル、
それでいて非常に洗練されたサウンドで、
一連のロックンロール・リヴァイバルの中でも一味違う、という感じだった。
 
若さや勢いだけではない、技術や洗練というか。
サカナクションを初めて知った時にも同じように感じた感覚。
 
定刻ぴったりに登場したフランツのパフォーマンスは、
3日間を通して一番印象に残るものだった。
 
徹底したショウマンシップ。
キメキメのポージング、メンバー紹介。
 
演奏も上手で、若手バンドとは思えない百戦錬磨のステージで、
日本の観客を魅了した。
 
代表曲の『Take me out』以外の曲も実際にライブで聴くと
聞きどころがたくさんあることがわかり、ますますファンになった。
 
 
 
その後のBen Harperはフランツの余韻であまり思い出せない…
 
同行のメンバーたちは一番楽しみにしていた人が多く、皆で見たのは覚えているけど。
 
レッド・ツェッペリンの『移民の歌』を曲間に挟むパフォーマンスをしていたような。
 
 
 
またまたグリーンでコートニー・ラヴ
言わずと知れたカート・コヴァーンの妻(未亡人)だが、
あまりライブの情報がなく、どんなステージなのか興味があった。
 
しかし…冒頭からなんか不機嫌そうに喚き散らしながら登場したコートニー。
 
譜面台に置いた歌詞カードが風でめくれるのに苛立ちながら歌っていたが、
ひどいパフォーマンスだった。
 
最初はそういうキャラなので演出なのかと思っていたが、全くノレず。
数曲で後にした。
 
 
 
 
こちらはタイトな演奏、キレのあるボーカルで完全に女性ボーカル対決、
軍配アリという感じでした。
 
 
 
忌野清志郎は名前だけ知っていたが、
曲はほとんど聞いたことがなく(昼間のパパは男だぜ、くらい)、
正直なぜこのフジロックのラインナップに入っているのか、
よくわかっていなかった。
 
その後、フジロック(というか大将)と清志郎さんのつながりや
RCサクセションから続くその活動、名曲の数々を知るほどに、
清志郎こそフジロックを象徴する存在であることが実感されたけれど、
その時はついでに見ようかな~、くらいのノリで見た。
 
 
が。
 
 
感動した。
一曲も聞いたことがない曲ばかりだったが、
なぜか耳になじみ深いメロディと言葉。
 
歌詞がはっきりと聞こえるのもその一員であるように思う。
例のマントを使ったステージ・ショウなども含めて、清志郎に魅了されてしまった。
帰ってからはたくさん聞いた。
 
翌年のフジロックでももちろん観たが、
まさかそれが最後になってしまうなんて思わなかった…。
 
 
 
 
当時ヒットしていたアルバム『come with us』からの
『star guiter』『it bigan in Afirika』ももちろん盛り上がったが、
やはり最高潮は『Hey girl,Hey boy』。
 
その後ケミカルは何度も見るけれど、やはりこの最初の時が一番印象深い。
 
 
 
この日の夜もオアシスエリアを朝までたむろしていたと思う。
 
Armand Van HeldenのDJを見ようとレッドマーキーの後ろの方に行ったら、
数人でビールを飲みながら騒いでいた英国人の男たちが、
私が着ていた下北沢の古着屋で適当に選んだ、
500円のサウサンプトンのサッカーシャツを見て大喜びし出した。
 
彼らはなんとサウサンプトン出身の人達との事。
 
日本まで来て、サウサンプトンを知っている日本人がいた事に
びっくりしたようだった。
 
ジェームス・ビーティ―の名前を出すと、なお喜び、
レッドのテントの後ろのところで大盛り上がりした。
 
ビーティ―しか知らなかったけど、とっさに出てきてよかった~。