Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る④

■3日目
 
昨日も朝までレッドマーキー、オアシスエリア、パレスオブワンダーなどを流し、
朝の5時。
 
今ではテントサイトの脇からプリンスホテルの浴場に行けるが、
当時は宿泊客以外使えなかったように思う。
 
その代わり、今でもあるコインシャワーを皆つかっていた。
 
気温の低い朝の5時、コインシャワーのバルブをひねると、出てきたのは冷水…。
 
凍えそうになりながらもなんとか体を洗い、
震えながら出てくると目の前にはニコニコしながら
ハイテンションでソフトクリームを売る兄ちゃんが。
 
なぜかその兄ちゃんのテンションに乗って、
友達と二人でソフトクリームを食べながらテントに戻ったのでした。
 
寒かった…。
 
 
 
さて、この日はグリーンステージでリバティーンズから。
 
レッドのサンボマスターから轟音と大歓声が聞こえてくるのを横目に、
クラブスヌーザー以来のリバの4人を待った。
 
この時すでに解散説が流れていて、ちゃんと登場するかひやひやしたけれど、
ステージセッティングでマイクが左右に2本置かれていたのでほっとした。
 
しかしこの広いグリーンステージの左右にマイク2本は、
このバンドには広すぎたと思う。
 
クラブスヌーザーで、リキッドルームの狭いステージで
マイクを取り合うようにして歌ったステージを見ているので、
どうしてもダイナミズムに欠ける印象になってしまった。
 
 
 
そのままグリーンステージに残り、JET
この年、いかにロックンロール・リヴァイバルが
ムーブメントだったのかがわかりますね。
 
もちろんハイライトは『Are you gonna be my girl?』
この年のiPodのCMに使われ、iPodもJETも世界的に有名にした曲だ。
 
 
 
そして、フジロックに行く前から一番楽しみにしていたのは、The White Stripes
 
私的にはロックンロール・リヴァイバルムーブメントの真打で、
JET同様、『seven nation army』がムーブメントを代表する曲となっていた。
 
夫婦なのか、姉弟なのか、その当時はわからなかった謎めいた二人。
 
二人を間近で見たくて、前列4列目くらいまで行った。
 
アンプの上に像の置物が置いてある。
 
二人登場。いつもの紅白の衣装。メグは裸足だ。
 
ライブが始まってからはもう熱狂の渦で、あまり覚えていない。
 
ストライプスはその後全てのアルバムを聞きこんだし、
Janisでブート盤も借りて聞き込んだ。
 
カバーしているブルーズの名曲にもさかのぼり、
リスニングライフを広げてくれた、本当に思い出に残るバンドだ。
 
 
 
さて、例のアレ、モリッシーだ。
 
The Smithのフロントマンであるモリッシーは、
気難しい変人としても知られていたが、
どういう理由かは覚えていないが、直前にドタキャンしていた。
 
急に穴の開いた3日目の大トリの枠がどうなるのか、
何もアナウンスがないままだったので、興味本位の人も含めて、
結構多くの人、が集まっていた。
 
 
 
そして…
 
 
 
日高大将のドタキャンのお詫びとともに呼び込まれ、
威勢よく入ってきたのはスミスのコピーバンドThese Charming men
(もちろんスミスの名曲『This Charming man』のもじり・・・)
 
 
最初何が起きているのかわからず、あぜんとしていた聴衆も、
スミスのヒットメドレーを始めるおっさんを目の前にして、
スマッシュの苦肉の対応と、
日高大将の苦し紛れのユーモアをようやく理解し、
あるものは起こりながらホワイトのベルセバに流れ、
あるものはチャーメンに暖かい声援を送っていた。
 
(数で言うとほとんどの人はベルセバに大移動して、すぐに閑散となった)
 
私はというと、どうしたか覚えていない…
最後の夜遊びのために、一回テントに戻ったような…
 
 
 
さて、今年のフジロック最後の演目、
大トリの後のクロージングは渋さ知らズオーケストラ
 
皆で見ましたが、寺山修司の人形桟敷のような白塗りの舞踏集団がいたり、
かなりカオスなステージだった。
 
同行メンバーのバイトの先輩?が渋さのメンバーで、
ギターかなんかを弾いていたような。
 
 
 
そんなこんなでフジロックは終わってしまいました。
 
 
 
翌日の撤収も当然のごとくサイト閉鎖ギリギリになってしまい、
係員に促されながら苗場を後にした僕ら。
 
車中ではベストアクトを言い合ったりして話も盛り上がり、
行く前より皆と仲良くなれた気がしましたが、
女性メンバーは都内に入ると下北沢につく前に、
思い思いの場所で降りていき、
一目散に帰って行きました・・・。
 
残った男性メンバーで車を返し、
ファーストキッチンでダラダラと感想などを言い合いながら夜まで過ごし、
帰りました。
 
 
100円のビニールカッパが役に立たなかったり、
足が疲れたり色々大変だったことはありましたが、
フジロックの楽しさにどっぷりつかってしまった2004年。
 
 
ここから、2000年代を通して、フェス人生が始まるのでした…。