Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

先週のラジオのSPウィークは久しぶりに面白かった。

先週のラジオのSPウィークは久しぶりに面白かった。

 

全体的に違う番組のパーソナリティーが他の番組にゲストで出たり、

他の番組のことを話したり、

と言った相互的なやりとりが多く、ダイナミックであったし、

スクランブル感があってワクワクした。

 

 

まずはやっぱり、火曜のTBS『爆笑問題カーボーイ』。

 

この2週前から田中がコロナ陽性のため休んでいて、

ウエストランドアンガールズがピンチヒッターを務めるスクランブル体制だったが、

SPウィークの先週はなんと同じJUNKの重鎮、伊集院光

 

大方の期待通りの暴走トークで、SPウィークを廃止したTBSラジオ社長の批判や、

神田伯山の悪口でエキサイトしていた。

 

お互いの触れて欲しくないところには触れずにはいられない、

因果なラジオスターの2人。

バッサバッサ斬り合って、お互いの返り血を浴びながら、

爽やかに笑っている、そんな刺激的な放送だった。

 

そしてその後27時からのニッポン放送creepy nuts ANN0』。

 

あ、ちなみにこれらの番組は全て、radikoのタイムフリーで後日聞いてます。

サラリーマンなんで。

 

まずは同じANNをやってる菅田将暉とこのラジオ番組で生まれた曲、

『サントラ』をミュージックステーションで披露したけど、

R指定が歌詞を間違えた話。

 

これはその前の週の『三四郎ANN』で「番組側に歌詞のテロップ間違えられてかわいそうw」

といじられていた。

 


Creepy Nuts × 菅田将暉 / サントラ【MV】

 

そこからのゲスト、オードリー若林。

DJ松永が尊敬してやまないラジオの先輩だ。

 

ちなみにcreepy nutsはオードリーの武道館ライブのときも、

ANNの企画の流れで『夜更かしの唄』を作っている。

 

今はANNの番組間コラボに欠かせない存在だ。

 

番組は意外にも若林のHIPHOPリスニング歴を真剣に語り合う場面もあった。

 

 

そして水曜深夜はニッポン放送『佐久間宣行ANN0』。

今、深夜ラジオの中で最も異彩を放っている番組ではないだろうか。

 

何しろ私のような、深夜ラジオを夢中になって聴くには少し歳をとってしまった、

アラフォー世代にドンピシャで刺さる内容ばかりなのだ。

さすがTVディレクターの佐久間さん、視聴者のことをよく分かっている。

 

今回は極楽とんぼ加藤浩次がゲスト。

ずっと前から駆け出しディレクター時代に極楽と一緒に作った番組で鍛えられたことや、

山本が事件を起こして謹慎になったとき、その番組がお蔵入りした際の

エピソードなどを語っていたので、この番組ファンとしては待ってました、の人選。

 

いつもは後輩や年下に向かって話すことが多い佐久間さんが、

この時はなんでもぶつけられる先輩に向かって、

思い切って本音をぶつけていく感じが新鮮だった。

 

木曜、TBS『ハライチのターン』。

先週、2人揃って病欠したおぎやはぎに代わって(小木さんが癌の手術、矢作さんがコロナ)

スポットで代打に行った2人。

 

その時の振り返りエピソードを語っていたが、その日の夕方に急遽連絡を受け、

出演することになったという。

 

この日の『おぎやはぎ メガネびいき』は出だしがトンツカタン・森本と、

なんとchelmicoの2人と言う意外な人選。

さすがに硬い感じだったが、途中で若きラジオスター、

アルコ&ピースの2人が加わってから面白くなってきて、

そこからのハライチ投入という流れだった。

 

TBSの24時台3兄弟(アルピー、ハライチ、うしろシティ)と、

ニッポン放送のcreepy、三四郎、佐久間さんはよく言えばユーティリティー

悪くいえばいいように使われている感じだが、

このようなスクランブル時には八面六臂の大活躍で、

ラジオを盛り上げている中心だ。

 

 

そして金曜、『三四郎 ANN』はゲスト菅田将暉

 

こちらもしゅーじまんこと相田がYoutubeチャンネルの企画で作ってリリースまでした曲、

『スタンバイ』に惚れ込んだ菅田が自分のアルバムに入れるため、

相田にお願いするという展開。

 

ん・・・、これって今までの展開となんだか似てる・・・。

ANNパーソナリティー同士をコラボ曲でつなげて、盛り上げるパターン。

 

まさかこれも予め狙ってやった企画!?

だとしたらなんと周到な計画。これを考えたスタッフはすごい。

最初から菅田将暉のアルバムに入る予定だったのかな・・・。

 


しゅーじまん『Standby』MV

 

 

そして私の1週間のラジオの大トリをかざるのは、『オードリーANN』。

 

ゲストは高橋ひかるさん。

私は存じ上げないタレントさんだったけど、最近ちょくちょく2人のトークの中で、

そのラジオフリークっぷりが話題になっていたので、

どんな人なのか気になっていた。

 

まだ19歳とのことだが、お笑いラジオを毎日聞いており、オードリーの大ファンで、

ボディビル鑑賞や料理など、好きになったらとことん追求するオタク気質とのこと。

 

終わった後アップされた写真を見たら、喋ってるイメージとは全然違う、

華奢な美少女でびっくり。

今はこんな子でもオタクって言えるんだ、オタクって市民権を得たよな、としみじみ思う。

 

 

こうしてみると、ANNは意図的にパーソナリティー同士のコラボレーションを仕掛けており、

盛り上がっている。

 

しかも菅田将暉とcreepyがミュージックステーションに出たり、

星野源がドラマ関連のゲストを出したりと、ラジオリスナーじゃないリスナーを

外から引っ張ってくることに成功していると思う。

 

今までのSPウィークやラジオ特番の企画は、ラジオファンに向けられた内向きなものが多く、

これじゃラジオファンは喜んでもラジオリスナーは増えないだろうな、

と思っていたけど、最近のANNはその辺特に意識して取り組んでるように感じる。

 

その点TBSのJUNKは少し遅れをとっているように思う。

レギュラーも軒並み10年以上やっており、個人的にはANNに勢いで負けていると感じる。

(つい2〜3年前まではJUNKの方が明らかに面白い、と感じていたが。)

 

今回もスクランブルな面白さがあったが、

それはいずれも田中、おぎやはぎの病欠によるもので、意図的じゃないし、

そんなところにも年齢を感じる・・・。

 

JUNKメンバーを刷新して欲しいとは思わないが、

JUNKとANN、鬩ぎ合って深夜ラジオをもっともっと盛り上げて欲しい。

 

 

 

他にも面白かった番組あるんだろうけど、スキマ時間でしか聞けないから聴ききれない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

【ワイルドサイドをほっつき歩け ーハマータウンのおっさんたち】ブーマーVSミレニアル、そのとき82年生まれは…

先日、オンライン英会話でフィリピン人講師とミレニアル世代の話題になりました。

 

私も講師もミレニアル世代。

 

お互いの国でミレニアル世代はどういう特徴があるか、

他の世代からどう見られているか、などについて話しましたが、

大体どこも同じだね〜と言うざっくりとした感想の中に、

互いの国特有の細かい違いがあったりして、

なかなか面白かったです。

 

 

 

ミレニアル世代は世界的には、

1980年〜2000年に生まれた世代のことを指すことが多いようです。

 

ミレニアル世代の世界的な特徴は、

デジタル=ネイティブで情報リテラシーが高い、

テロや不況の時期に育ったことで、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを求める、

ポリティカル・コレクトネスに敏感、などなど。

 

 

日本のミレニアル世代の中で、

後半の半分以上は「ゆとり世代」に属するので、(1987年生まれ以降)

ミレニアル世代≒ゆとり世代とする向きもあります。

 

 

ちなみに、フィリピンではミレニアル世代は、

 

fickle minded = 風見鶏(コロコロ言ってることが変わる人)

 

とよく評されるとのことです。

 

 

一方、日本の「ゆとり世代」も、

無気力、打たれ弱い、失敗を恐れる、空気を読んでばかりなど、

否定的な見られ方をすることが多いように思います。

 

特にゆとり世代リーマンショック後くらいまで続いた就職氷河期の後に

就職活動期を迎え、売り手市場の中で就職できたことから、

就職氷河期を経験した一つ上の世代、「ロスジェネ」世代からは疎まれがちです・・・。

 

と言うわけで日本では、

「ロスジェネ」世代 VS 「ゆとり世代」の世代間対立が

わかりやすいように思いますが、

このような世代間対立は微妙に年代や対立軸を変えて、

どの国にもあるようです。

 

 

 

そのことを面白おかしく、

しかしリアルに伝えてくれるのがブレイディみかこさんの新著、

『ワイルドサイドをほっつき歩け ーーハマータウンのおっさんたち』です。

 

 

 

 

この本でブレイディさんは、彼女が住むイギリスのブライトンを舞台に、

彼女の夫と主にその友人のおっさん達、ベビーブーマー世代の末路と悲哀、

特にポリコレに敏感で新自由主義的社会に適応している若い世代から、

粗大ゴミのように汚いものを見る目で見られつつ、

おっさんなりの筋の通し方や意地で、地べたを生きる彼らの生き様を、

優しく見守っています。

 

最終章はブライトンが生んだスーパースターDJ、Fatboyslimの名曲、

『Praise you』をタイトルに拝借しています。

 

私はこれらのおっさんの代表としてまさに、

EDMの波に押され、一時期の全盛期は静かに終わりを告げて、

今は人生の黄昏時を迎えているであろう、ノーマン・クックその人を思い浮かべました。

 

 

ところでこの本の第2章には英国の世代間対立事情が詳細に書かれていていました。

 

それによると英国ではとにかくベビーブーマー世代が、

EU離脱の賛成票を投じた主たる層、強欲で得ばかりしてきた世代、

などと子供世代であるミレニアル世代から突き上げられ、

それが今回のEU離脱選挙で一層深刻な分断を生み出したと言うのです。

 

ブレイディさんはこれを日本に置き換えると、

全共闘世代 VS  ロスジェネ世代に近いかも、と書いてます。

 

戦後の経済発展の恩恵を受け、豊かだった時代の社会や文化を謳歌した親世代と、

生まれた時から不況続きで、戦争やテロなど、戦後社会の行き詰まりの閉塞感の中で

育ってきた子供世代。

 

微妙に年代はずれてますが、日本も英国も(そして他の国も多かれ少なかれ)、

同じ問題があるのだなと思いました。

 

しかし英国の場合はEU離脱の投票によって問題が顕在化し、

断絶は一層深まっていて切羽詰まった状況になっています。

 

EU離脱票を投じた割合が最も高かったベビーブーマー世代を、

「裏切り者」「自分たちはブレクジットのダメージを見る前に死ぬくせに」などと責め、

ベビーブーマー世代は若者世代を、

「君たちは何がこの国にとって本当に良いことなのか分かってない」

などと譲らず、国を挙げての壮大な親子喧嘩状態。

 

そんな終わりの見えない果てしない世代間の争いの中で、

ブレイディさんが何か役割を果たせるかもしれない、

と期待しているのが間に挟まれた世代、ジェネレーションXです。

 

彼らは二ヒリスティックで冷めている、と言われがちだけど、

実際に今の社会、企業でも地域でも家庭でも、

実務の中心となっている世代です。

 

ベビーブーマー世代は過去に生きすぎて、未来を台無しにしようとしているし、

ミレニアル世代は未来を怖がりすぎて、過去を見ていない。

ジェネレーションX世代は過去に何があったか知ってるし、

時代の変遷をある程度見てきたものとして、

未来は作り変えることができると言うことを認識している。

 

言わば、「谷間の世代」だったジェネレーションXの存在が、

世代間対立の解決のための、鍵になるかもしれません。

 

 

 

そういえば私は1982年生まれ、

ぎりぎりミレニアル世代の先頭ということもできるけど、

ジェネレーションXの最後尾でもあるらしいです。

 

 

どうりで、どちらの世代の特徴や価値観も、

しっくりこないわけだ・・・。 

 

しかし、「谷間の世代」のさらに谷間に生きる私は、

どちらの世代にも共感するところがあります。

 

そうやってお互いの世代の良いところを取り入れながら、

両者の融和を図るのが、谷間の谷間世代の役割といったところでしょうか。

 

 

 

 

なんか調子いいやつみたいですね。

 

あ、だからfickle mindedって言われるのかな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極私的・平成の日本を代表する50曲

私は1982年生まれなので、平成元年の時、7歳。

そして平成が終わった時、36歳。

 

と言うことは私が聞いてきた音楽、

好きな音楽はほぼ平成の音楽ということになる。

 

ふと思い立って、私の個人的な好みによる、

平成の日本を代表する50曲を一気に選んでみた。

 

一般的な50曲、これを読んでる方の選ぶ50曲とは違っていると思うが、

それはご容赦願いたい。

 

 

その乖離にこそ、私の人生が滲み出ているのだから。

 

 

 

極私的・平成の日本を代表する50曲

 

さよなら人類/たま

物心ついて初めて好きになった曲。今見返すと危険さが伝わってくる。


愛のために/奥田民生

Hey×3を観て、民生と浜ちゃんの古着に憧れていた。


恋のマジックポーション/すかんち

これか天才テレビくんに使われてた『You You You』か迷った。

 

悲しみは雪のように/浜田省吾

ハマショーのように怒りや貧しさをストレートに歌う人って、今はいない。


世界が終わるまでは/WANDS

言わずと知れた、スラムダンクのED。


Alone/B’z

95年くらいまでのB'zは名曲揃い。


Love Train/TM network

TKサウンドの最高峰はTMNTRF


グロリアス/GLAY

GLAYの苦労話は好きでした。『REVIEW』は傑作アルバム。


悲しきASIAN BOY /The Yellow Monkey

初めて買ったシングルCD。もちろん短冊型。


Over drive /ジュディ・アンド・マリー

YUKIはもちろんのこと、TAKUYAも結構好きでした

 

僕の天使マリ/スピッツ

ロビンソンあたりでスピッツを知って、遡って知った名曲


Shangri-La/電気グルーヴ

多くのロック少年と同じく、電気を入り口にテクノを知った。

 

Candy house/Thee Michelle Gun Elephant

NHKーFM『ミュージックスクエア』でこの曲をはじめ、多くの名曲と出会った。

 

ガソリンの揺れ方/Blankey Jet City

高校時代はブランキーばかり聞いてた。ライブに間に合わず泣

 

いかれたBABY /フィッシュマンズ

いなくなってから知った。何にも似ていない、孤高の名曲。


今夜はブギーバック/小沢健二

この曲こそ90年代を代表する曲。あらゆる意味で。


Playboy playgirl/ピチカート・ファイヴ

田舎の中1だったので渋谷系の意味はわからなかったけど、(↓に続く)


プライマル/オリジナル・ラヴ

渋谷系の曲はなぜか心に引っ掛かった。そして今も聞き返している。


I’m knocking on the door/L⇄R

中学の時、初めて行ったカラオケで歌ったら意外と難しくて玉砕した。


サマージャム95/スチャダラパー

多くのロック少年と同じく、オザケンからのスチャダラでヒップホップを知った。


サマーヌード/真心ブラザーズ

これも95年!


今宵の月のように/エレファントカシマシ

この頃ポップジャムによく出ていたような気がする。


SHAKE /SMAP

ジャニーズ曲で唯一ランクイン。歌も踊りもこの頃のキムタクも大好き。


Innocent world/Mr children

ミスチルはあまり好きでは無いが、この曲の爽快さには抗えない。


歩いて帰ろう/斉藤和義

いつの間にか知って、じわじわ好きになった。


LADY MADONNA/LOVE PHYCHEDELICO

大学受験の帰りにCDを買って聴きながら帰った。3時間、ずっとリピートした。


Traveling /宇多田ヒカル

当時、ロッキンオンの山崎編集長もDJでこの曲を掛けてた。


ワンダーフォーゲル/くるり

なんだかんだで一番ライブを観たのはくるりかも。


Lucky/supercar

青森の宝物です。淳治の歌詞、文章も好き。


NUM-AMI-DABUTZ/ナンバーガール

会社員のような外見に衝撃。ダイナソーJrみたいな音楽をやっててさらに衝撃。


海行かば山ゆかば踊るかばね/ソウルフラワーユニオン

クラブスヌーザーでよくかかってた思い出の曲。


青春狂走曲/サニーデイサービス

失恋した時、唯一聴けた音楽がサニーデイ。曽我部さんの声に憧れてる。


Point of view point/Cornelius

東京した初めてライブに行ったのがコーネリアス。Tシャツも大事に着た。


Music Lovers/The Jerry Lee Phantom

これもクラブスヌーザーの思い出。


エイリアンズ/キリンジ

だいぶ後になってからハマった。当時は子供だったということか・・・


発光体/ゆらゆら帝国

ここからナゲッツなどのサイケガレージ沼にしばらくハマる


Rock And Roll(Will Never Die)/騒音寺

2008年頃、騒音寺を追いかけてライブハウスに通いまくっていた。

 

深夜高速/フラワーカンパニーズ

騒音寺のライブにケイスケさんが出てきた時、盛り上がったなあ。


若者のすべて/フジファブリック

フィッシュマンズは誰も似てないと書いたけど、私の中ではちょっと似た存在。


高嶺の花子さん/Back number

自分ごととしてはもう聴けないけど、それはそれとしていい曲。

アルクアラウンド/サカナクション

フジロックで初めて観て、久々に衝撃を受けた。その後全曲聞いた。


肉体関係part2 逆featuringクレイジーケンバンド/RHYMESTER

歌詞もPVも最高。宇多丸さんのラジオもよく聞いた。


たりないふたり/creepy nuts

令和の、ヒップホップ版の、電気グルーヴだと思う。イノベイター


SUN/星野源

この曲で星野源のことも、ブラックミュージックのこともグッと好きになった。


明日も/SHISHAMO

意外とどハマりした。ストレートに元気がもらえる曲。


(Love is like a)Heat Wave/The Learners

チャーべさんのコンセプト、マリーさんのルックス、最高なバンドだ!


台風銀座/台風クラブ

最近インディーロックはほとんど聴いてないが、それでもこのバンドには心惹かれた。


Summer Soul/cero

ceroは次世代のYMOと言ったら言い過ぎ?だって3人とも天才だし。


KAWASAKI DRIFT/BAD HOP

こんなリアルでストレートな曲、もうロックには無い。サウンドにも声にもシビれる。


LEMON /米津玄師

平成を締めくくるにふさわしい、大名曲。紅白見て感動したの初めて。

ミュージシャンの書く文章にはリズムとメロディがある。 私のお勧めする「音楽本」5選。

音楽本を読むのが大好きだ。

  

音楽本といっても、いろいろな本があると思うが、

私の興味範囲の音楽本を大まかに定義すると次のようになる。

 

 

①ミュージシャンが書いた、自伝、または音楽に関する本

②ミュージシャンが書いた、音楽とは関係ないジャンルの本


③ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、音楽に関する本


④ミュージシャンじゃない人(ライター、裏方含む)が書いた、

音楽とは関係ないジャンルの本

 

※音楽のジャンルはPOPS、ロックが多いですが、特に問わない。

※スコアや楽譜、楽器の教則本などは今回の定義からは外す。

 

 

④はもはや音楽本とは言えないかもしれないが・・・。

 

 

 

書店の本棚に一番多いのは③ではないだろうか。

音楽批評家の評論や、ディスクガイド的な本も含まれるので、種類も数も多いと思う。

 

ライターや批評家の人たちは文章を書くのが本業であるので、

文章がうまいのは当たり前だし、資料的価値がある本も多く、

③のカテゴリーは当たり外れが少ない印象がある。

 

 

しかし、今日私が推したいのは①のカテゴリー、ミュージシャンが書いた本だ。

 

 

なぜなら、ミュージシャンの人生は一般人と比べて山あり谷あり、

普通の人生では体験しないようなことをたくさん経験してきた人が多く、

そもそも書いてるネタが面白い。

 

さらに、ミュージシャンは文章を書くことが本業ではないが、

日々、作詞を通じて言葉と向き合っているからか、

またはメロディやリズムに敏感だからか、

本当に独特な、その人だけが持つ個性的なリズムの文体を持っている方が多く、

それこそが私が①カテゴリーの音楽本の最大の魅力だと私は思う。

 

 

そんな私が愛してやまない①カテゴリーの音楽本を何冊か紹介する。

 

 

小西康陽『これは恋ではない 小西康陽のコラム1984−1996』

 

私が思うに、日本のミュージシャンで一番の名文家は小西康陽さんである。

まさに小西さんのDJのように、都会的で、洒脱でスムーズだが、

時々聞き流すことの出来ないフックが随所に挟み込まれている文体。

 

そして語られていく愛するものたちへのフェティッシュなこだわり。

レコード、名画座、女性、バー、etc・・・

 

植草甚一片岡義男山口瞳小林信彦といった、

粋な都会人的な昭和のエッセイの名手たちの系譜は、

実は小西さんにこそ引き継がれていると思う。

 

このバラエティ・ブック3部作は3冊とも、

とにかく日記もエッセイもショートストーリーも、全てが抜群に面白いが、

後半段々人生の孤独感や寂寥感がに滲み出てきて、

それがご本人の今の気分なのか、少し暗い印象になっていくのに対し、

1冊目のこの本はまだ華やかな都会ライフが描かれていて、

まるでピチカート・ファイヴの歌詞みたいだ、と思ったり。

 

 

 

 

 

 横山剣『マイ・スタンダード』

 

独特のリズムとメロディが備わった、

ミュージシャンならではの個性的な文体という点において、

クレイジーケンバンドのボーカル・横山剣さんの右に出るものはいない。

 

彼の思い出話の中に出てくるディテールの喚起力は凄まじい。

例えばこんな一文。

 

 

 

かつて本牧の街が目を覚ますのはィ夜の深い時間だった。

本牧通りに夜がくれば、VFW、IG、IG-Annex、

山手署の交差点を小港橋方面に進めば、

リキシャ・ルームといった老舗のナイトスポットが

深海の発光体みたいな淡く儚い光をポワーンと放ちながら

幻影のように浮かんでる。

なんだか現実味が全くないんだ。

 

それとは対照的に、通りの反対側のディスコ・リンディーのネオンだけが、

まるで返還前の沖縄ゴザの歓楽街みたいなギラギラで絶倫な光を放っていた。

 

 

 

 

こんな描写がそこら中に溢れている。

剣さんの文章は固有名詞やディテールの列挙に執拗にこだわることで、

単なる事実や出来事の記録ではなく、

むしろその時、そこに流れていた空気感、質感を捕まえ、立ち上がらせることに見事に成功している。

 

あの独特な話し方とも全く別の、オリジナルな文体で語られる本牧、原宿、六本木・・・

 

一度読んだら病みつきになってしまう、そんな中毒性の高い文章だ。

 

 

 

クレイジーケンズ マイ・スタンダード

クレイジーケンズ マイ・スタンダード

 

 

 

 

 

菊地成孔菊地成孔の粋な夜電波』

 

これはシリーズでもう何冊か出ているが、

TBSラジオで放送されていた同名のラジオ番組で菊地さんが喋った内容を、

ほぼそのまま文章にした本だ。

 

だから厳密には菊池さんが書いた文章では無い。

菊池さんは他にも数多くの著作があり、そちらの文章も大変面白いのだが、

なぜこの本を取り上げたかというと、私はこの本を読んで驚いたからだ。

 

当初、この本は菊池さんが話した言葉であり、書いた言葉では無いので、

ミュージシャン独特の文体を愛好する私はそれほど期待していなかった。

 

このラジオ番組が好きだったので、聞き逃した回のエピソードが読めればなあ、

ぐらいの気持ちで買ったのだが。

 

しかし、私の低い期待に反して、この本は本として、抜群に面白かった。

 

つまり、話し言葉を書き起こしているだけなのに、

ミュージシャンの独特な文体として十分に成立していた。

 

失礼ながらこのラジオ番組での菊地さんは、

思いつきというか適当というか、

与太話のような風情でいつも話しているので、

それを書き起こしたときにこんなに個性的で

読み応えのある文章になるとは思いもしなかった。

 

文字で読んでも面白いことを、

あんな思いつきのようにペラペラと話していた菊地さんの凄さを実感した。

 

言文一致とでもいうのか、 

言葉に身体性があるというか、

むしろ菊地さん自体が言葉で出来ているような、

そんな稀有な人です。

 

 

 

 

 

村上”ポンタ”秀一『自暴自伝』

 

言わずと知れた日本を代表するドラマーであり、

70年代から数々の名曲に参加してきた、セッションミュージシャンのポンタさん。

 

この本はそんなポンタさんの伝説の名曲、名盤への華麗なる参加遍歴と、

豪快すぎるキャラクターと逸話の数々を存分に堪能できる自伝だ。

 

ポンタさんの一切立ち止まることなく、

あらゆるものをなぎ倒して前に進むような半生を通じて、

はっぴぃえんど、シュガーベイブユーミンと盛り上がっていく70年代のニューミュージック、それらの人材が楽曲を提供した80年代のアイドルブームの隆盛と、

当時の興奮が臨場感を持って伝わってくる。

 

全盛期は都内のスタジオを1日何軒もはしごして走り回っていたという

ポンタさんの後ろについて回って、

数々の伝説の名曲のレコーディングに立ち会った気分になれる一冊だ。

 

 

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

 

 

 

 

和嶋慎治『屈折くん』

 

青森が誇る、知る人ぞ知るロックバンド、人間椅子のギター&ボーカル、

和嶋慎治さんの自伝。

 

あの文学的な歌詞の世界観、ブラックサバスのようなヘヴィなギターサウンド

たびたび挟み込まれる津軽弁の語りやMC、白塗り坊主の鈴木さん ・・・。

 

強烈すぎる個性はどのように形成されていったのか?

 

意外にも和嶋さんは弘前の旧家の長男で、

ボンボンであることに子供の頃から悩んでいたという。

 

そんな自意識のねじれと歪みがひねくれにひねくれて、

ロックバンドとして昇華されていくところがこの本の白眉だが、

和嶋さんの場合はそれだけじゃ終わらない。

 

青春が過ぎた40代になっても50代になっても延々と悶々としていて、

徹夜で飲んだくれた後、高円寺の片隅で倒れてしまい、泣いたりしている。

 

しかしそんなねじれまくった自分の半生を記述する、

書き手としての和嶋さんは冷静だ。

一筋縄ではいかない男の自意識の転がっていく様を、結構淡々と書いている。

 

そこがこの本の文体に独特さを生み出し、味わい深いものにしている。

 

 

屈折くん

屈折くん

  • 作者:和嶋 慎治
  • 発売日: 2017/02/09
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

まだまだたくさん紹介したい本があるし、③のミュージシャンじゃ無い人が書いた音楽の本も面白い本がたくさんあるので、機会があればそのうち書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る④

■3日目
 
昨日も朝までレッドマーキー、オアシスエリア、パレスオブワンダーなどを流し、
朝の5時。
 
今ではテントサイトの脇からプリンスホテルの浴場に行けるが、
当時は宿泊客以外使えなかったように思う。
 
その代わり、今でもあるコインシャワーを皆つかっていた。
 
気温の低い朝の5時、コインシャワーのバルブをひねると、出てきたのは冷水…。
 
凍えそうになりながらもなんとか体を洗い、
震えながら出てくると目の前にはニコニコしながら
ハイテンションでソフトクリームを売る兄ちゃんが。
 
なぜかその兄ちゃんのテンションに乗って、
友達と二人でソフトクリームを食べながらテントに戻ったのでした。
 
寒かった…。
 
 
 
さて、この日はグリーンステージでリバティーンズから。
 
レッドのサンボマスターから轟音と大歓声が聞こえてくるのを横目に、
クラブスヌーザー以来のリバの4人を待った。
 
この時すでに解散説が流れていて、ちゃんと登場するかひやひやしたけれど、
ステージセッティングでマイクが左右に2本置かれていたのでほっとした。
 
しかしこの広いグリーンステージの左右にマイク2本は、
このバンドには広すぎたと思う。
 
クラブスヌーザーで、リキッドルームの狭いステージで
マイクを取り合うようにして歌ったステージを見ているので、
どうしてもダイナミズムに欠ける印象になってしまった。
 
 
 
そのままグリーンステージに残り、JET
この年、いかにロックンロール・リヴァイバルが
ムーブメントだったのかがわかりますね。
 
もちろんハイライトは『Are you gonna be my girl?』
この年のiPodのCMに使われ、iPodもJETも世界的に有名にした曲だ。
 
 
 
そして、フジロックに行く前から一番楽しみにしていたのは、The White Stripes
 
私的にはロックンロール・リヴァイバルムーブメントの真打で、
JET同様、『seven nation army』がムーブメントを代表する曲となっていた。
 
夫婦なのか、姉弟なのか、その当時はわからなかった謎めいた二人。
 
二人を間近で見たくて、前列4列目くらいまで行った。
 
アンプの上に像の置物が置いてある。
 
二人登場。いつもの紅白の衣装。メグは裸足だ。
 
ライブが始まってからはもう熱狂の渦で、あまり覚えていない。
 
ストライプスはその後全てのアルバムを聞きこんだし、
Janisでブート盤も借りて聞き込んだ。
 
カバーしているブルーズの名曲にもさかのぼり、
リスニングライフを広げてくれた、本当に思い出に残るバンドだ。
 
 
 
さて、例のアレ、モリッシーだ。
 
The Smithのフロントマンであるモリッシーは、
気難しい変人としても知られていたが、
どういう理由かは覚えていないが、直前にドタキャンしていた。
 
急に穴の開いた3日目の大トリの枠がどうなるのか、
何もアナウンスがないままだったので、興味本位の人も含めて、
結構多くの人、が集まっていた。
 
 
 
そして…
 
 
 
日高大将のドタキャンのお詫びとともに呼び込まれ、
威勢よく入ってきたのはスミスのコピーバンドThese Charming men
(もちろんスミスの名曲『This Charming man』のもじり・・・)
 
 
最初何が起きているのかわからず、あぜんとしていた聴衆も、
スミスのヒットメドレーを始めるおっさんを目の前にして、
スマッシュの苦肉の対応と、
日高大将の苦し紛れのユーモアをようやく理解し、
あるものは起こりながらホワイトのベルセバに流れ、
あるものはチャーメンに暖かい声援を送っていた。
 
(数で言うとほとんどの人はベルセバに大移動して、すぐに閑散となった)
 
私はというと、どうしたか覚えていない…
最後の夜遊びのために、一回テントに戻ったような…
 
 
 
さて、今年のフジロック最後の演目、
大トリの後のクロージングは渋さ知らズオーケストラ
 
皆で見ましたが、寺山修司の人形桟敷のような白塗りの舞踏集団がいたり、
かなりカオスなステージだった。
 
同行メンバーのバイトの先輩?が渋さのメンバーで、
ギターかなんかを弾いていたような。
 
 
 
そんなこんなでフジロックは終わってしまいました。
 
 
 
翌日の撤収も当然のごとくサイト閉鎖ギリギリになってしまい、
係員に促されながら苗場を後にした僕ら。
 
車中ではベストアクトを言い合ったりして話も盛り上がり、
行く前より皆と仲良くなれた気がしましたが、
女性メンバーは都内に入ると下北沢につく前に、
思い思いの場所で降りていき、
一目散に帰って行きました・・・。
 
残った男性メンバーで車を返し、
ファーストキッチンでダラダラと感想などを言い合いながら夜まで過ごし、
帰りました。
 
 
100円のビニールカッパが役に立たなかったり、
足が疲れたり色々大変だったことはありましたが、
フジロックの楽しさにどっぷりつかってしまった2004年。
 
 
ここから、2000年代を通して、フェス人生が始まるのでした…。
 
 
 

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る③

■2日目
 
14時からのフランツ・フェルディナンド22-20Sがかぶってしまった。
 
友達は22-20Sにいったが、私はフランツを見にグリーンへ。
 
 
 
先だってリリースされていたフランツフェルディナンドの1stはポップでダンサブル、
それでいて非常に洗練されたサウンドで、
一連のロックンロール・リヴァイバルの中でも一味違う、という感じだった。
 
若さや勢いだけではない、技術や洗練というか。
サカナクションを初めて知った時にも同じように感じた感覚。
 
定刻ぴったりに登場したフランツのパフォーマンスは、
3日間を通して一番印象に残るものだった。
 
徹底したショウマンシップ。
キメキメのポージング、メンバー紹介。
 
演奏も上手で、若手バンドとは思えない百戦錬磨のステージで、
日本の観客を魅了した。
 
代表曲の『Take me out』以外の曲も実際にライブで聴くと
聞きどころがたくさんあることがわかり、ますますファンになった。
 
 
 
その後のBen Harperはフランツの余韻であまり思い出せない…
 
同行のメンバーたちは一番楽しみにしていた人が多く、皆で見たのは覚えているけど。
 
レッド・ツェッペリンの『移民の歌』を曲間に挟むパフォーマンスをしていたような。
 
 
 
またまたグリーンでコートニー・ラヴ
言わずと知れたカート・コヴァーンの妻(未亡人)だが、
あまりライブの情報がなく、どんなステージなのか興味があった。
 
しかし…冒頭からなんか不機嫌そうに喚き散らしながら登場したコートニー。
 
譜面台に置いた歌詞カードが風でめくれるのに苛立ちながら歌っていたが、
ひどいパフォーマンスだった。
 
最初はそういうキャラなので演出なのかと思っていたが、全くノレず。
数曲で後にした。
 
 
 
 
こちらはタイトな演奏、キレのあるボーカルで完全に女性ボーカル対決、
軍配アリという感じでした。
 
 
 
忌野清志郎は名前だけ知っていたが、
曲はほとんど聞いたことがなく(昼間のパパは男だぜ、くらい)、
正直なぜこのフジロックのラインナップに入っているのか、
よくわかっていなかった。
 
その後、フジロック(というか大将)と清志郎さんのつながりや
RCサクセションから続くその活動、名曲の数々を知るほどに、
清志郎こそフジロックを象徴する存在であることが実感されたけれど、
その時はついでに見ようかな~、くらいのノリで見た。
 
 
が。
 
 
感動した。
一曲も聞いたことがない曲ばかりだったが、
なぜか耳になじみ深いメロディと言葉。
 
歌詞がはっきりと聞こえるのもその一員であるように思う。
例のマントを使ったステージ・ショウなども含めて、清志郎に魅了されてしまった。
帰ってからはたくさん聞いた。
 
翌年のフジロックでももちろん観たが、
まさかそれが最後になってしまうなんて思わなかった…。
 
 
 
 
当時ヒットしていたアルバム『come with us』からの
『star guiter』『it bigan in Afirika』ももちろん盛り上がったが、
やはり最高潮は『Hey girl,Hey boy』。
 
その後ケミカルは何度も見るけれど、やはりこの最初の時が一番印象深い。
 
 
 
この日の夜もオアシスエリアを朝までたむろしていたと思う。
 
Armand Van HeldenのDJを見ようとレッドマーキーの後ろの方に行ったら、
数人でビールを飲みながら騒いでいた英国人の男たちが、
私が着ていた下北沢の古着屋で適当に選んだ、
500円のサウサンプトンのサッカーシャツを見て大喜びし出した。
 
彼らはなんとサウサンプトン出身の人達との事。
 
日本まで来て、サウサンプトンを知っている日本人がいた事に
びっくりしたようだった。
 
ジェームス・ビーティ―の名前を出すと、なお喜び、
レッドのテントの後ろのところで大盛り上がりした。
 
ビーティ―しか知らなかったけど、とっさに出てきてよかった~。

フジロックの黒歴史!? 思い出のフジロック2004を振り返る②

■1日目
 
テントサイトを降りてオアシスエリアを突っ切り、
レッドマーキーの後ろから入ってステージを覗いてみると、
 
唯一知ってて好きだった曲『君という花』が見れて良かった。
 
 
 
終了後、すぐにグリーンに移動し、ザ・ルースターズ
開演の前に日高さんが出てきて熱い呼び込みをしていた。
 
前の方は盛り上がっていたけど、正直、
ボーカルの大江慎也の外見がとてもロックミュージシャンに見えないおっさんで、
ジャンプも苦しそうにしているのを見てちょっとカッコ悪いかも…と思ってしまった。
 
私もまだ若く、良さがあまりわからなかったのだ。
 
 
 
数曲でグリーンを後にしてまたレッド、The Zutons
 
リバプールの新人バンド勢を集めた企画コンピ盤(The Coralがシーンの中心でした)で知ってて曲がいいと思っていたけど、こちらはステージもかっこよかった。
 
皆で白いブーケのようなそろいの衣装を着ていたような。
 
 
 
最後、数曲は泣く泣く離れ、林を抜けてグリーンステージに舞い戻り、PJ Harvey
 
真っ赤なタイトワンピースにギターを抱えて登場。どすの聞いた声が印象的だった。
 
 
 
グリーンで待っていると、夜も更けて空も紫色になってきた。
苗場の天気は変わりやすい。
 
あっという間に雲が出てきた。
 
なんとなく不穏な空気の中、半ば伝説となっていたThe Pixiesがその姿を現す。
 
ほ、ほんとにいるんだ…そしてやっぱりでかい!
ブラック・フランシスは本当に巨体だった。
 
暗闇に震えるギターの轟音。
 
『Where is my mind?』の緊張感、
『Debaser』の爆発、これぞフジロックというライブを見た。
 
最初のフジロックマジック。
天気と時間とステージと、観客の期待と、その日の演奏。
それが全てマッチしたときの奇跡。
 
 
 
レッドではUSオルタナの生ける伝説の名演を後に、
そのピクシーズを絶対聞いて育ったであろう、
90年代の米英ギターサウンドを受け継ぐバンド、スーパーカー
 
前半はあまりメジャーじゃない曲を中心にプレイし、
会場も少し静かだったが、
映画『ピンポン』の主題歌になったことで一躍バンドの存在を有名にした
『Strobolights』を皮切りに、『YUMEGIWA LAST BOY]』『Story Writer』
などで畳みかけ、最後は大盛り上がり。
 
 
 
そしてグリーンに戻り、ルー・リード
 
正直この時はヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の1stアルバム
(例のバナナのやつ)しか聞いたことがなく、
その曲やらないかなあ、と思いながら聞いていたが、
確かヴェルヴェッツの曲は『Pale blue eyes』『sweet jane』の2曲しか
やらなかったと思う。
 
しかしそれでもよかった。
3日通し券しかなくて観客がものすごく少なかった04年、
ルー・リードのライブ中のグリーンステージは涼しくて
ちょっと湿った夜風が心地よく、今では信じられないが、
PA後方くらいの坂になった芝生にごろんと寝ころびながら聞いた。
 
 
フジロックに来てよかったと思った。
 
 
そんなまったりしたグリーンステージに別れを告げ、
後ろ髪惹かれつつもホワイトステージに向かうことにした。
 
 
 
Basement Jaxxが見たかったのだ。
 
しかし初めてのフジロック疲労困憊、
グリーンステージからホワイトステージまでもこんなに距離があると思わず、
テンションも下がってきてしまった。足の裏も痛い…。
 
ほうほうのていでたどり着いたホワイトステージ。
ベースメントジャックスはもう始まっていた。
 
出たばかりのアルバムの1曲目『Good Luck』を
ゲストボーカルの黒人女性が激しく動き回りながら歌っており、
会場は爆発したように熱狂していた。
 
それを見た瞬間、今までの疲れがふっとんだ。
 
足の裏の痛みもすっかり忘れ、僕も熱狂のステージの前の方に走り出した。
 
 
今思い返しても、この時ほど、いわゆる「テンションぶち上り」を
体験したことはなかったように思う。
 
少なくとも今ではとても無理だ。
 
あんなに疲れた体が音楽だけでMaxボルテージに回復することはもうないと思う。
 
 
 
初めてのフジロックの一日目、大満足で終え、
しばらく深夜のレッドマーキーを冷かしながらオアシスエリアをうろついていた。
 
その頃は岩盤のDJブースがオアシスエリアのはじの方、
KARMAの出店の隣の窪んだ場所にあって、
ゲリラ的に色んな人がDJをしていたのだ。
 
そこで休んでいたら、元ブランキ―ジェットシティ、
その時は確かロザリオスで出演していたドラマーの中村達也さんがDJをしていた。
 
 
ブランキ―大好き少年だった私は、あの強面な中村さんがDJもやるんだ、
と意外に思いつつ前列の方に詰めかけると、ふいにブランキ―『D・I・Jのピストル』をスピン、
そこにいた何人かの人達は大喜びしていた。
 
もちろん私も。なんか得した気分になった。