Kimlahimvic’s Diary

Rock, Book, Beer, and Soccer などのとりとめのない話

【2月24日】4歳のスナップショット

上の娘が4歳になった。

 

ついこの前、下の娘が1歳になったのだが、その時、上の娘が1歳になったばっかりの時ってどのくらい歩けてたっけ?なんか喋ってたっけ?服のサイズ80だっけ?とうろ覚えな部分が結構あった。

今はiPhoneで写真を撮れば日時・場所も記録されるのでそれを見返せばある程度記憶を思い出すことができるけど、「1歳の誕生日には○歩歩けた」とか「朝食はトースト1枚と味噌汁の具とブロッコリーちょっとくらい」とか、細かい成長記録は案外思い出せないものなので、今日時点で上の娘ができることを記録しておこうと思う。

 

・逆上がりが自在にできる。

・雲梯も得意。最後まで渡れる。

・反面、椅子取りゲームやドッヂボールなどの競争のある遊びは好きではない。

・人混みや人前、初対面の人の前などではよく尻込み、人見知りする。

・ひらがなが全部ではないが、70%くらいは読める。

・21時過ぎにベッドに行き、1〜2冊絵本を読んで寝るのが習慣。

・金太郎、赤ずきんなどの昔話が多い。同じ話を繰り返し読むので覚えてきた。

・自分の名前や友達、家族の名前もほぼ書けるが、右から左に書いてしまいがち。

・書き順も正しくない

Eテレしか見ていない。プリキュアやディズニーなども見ていない(存在は知ってる)

おかあさんといっしょがいちばんすき。最近キッチン戦隊に少し興味

・鬼、狼、ちょんまげが怖い。

・ご飯を食べるのが遅いのが最近の課題。おしゃべり中心で箸がすすまない。

・きゅうりが大好き。果物全般も。芋・コーンが苦手。

・15.8kgくらい。活発に動く割にガツガツ食べないので、少し痩せている。

・服のサイズは110。靴のサイズは16〜16.5。

・夜だけまだおむつ。昼はパンツだが保育園でたまにおもらししている

・女の子の友達(年齢・月齢上のおねえさん)が好き。男の子はあまり好きではない

・石はあまり拾わなくなったが、道端の花や草、どんぐりを拾うのが大好き。

・毎週末公園に行きたがる。遊具で目一杯遊ばないと気が済まない。

・言葉は達者な方に思える。「ついでに」「ところで」「ちなみに」「むしろ」などの接続表現を正しい用法で使っており、いつも驚く。

 

 

自分の4歳の時よりもできることが多い気がする。

正確には覚えてないが、自分は幼稚園に入った時にはおむつはしてなかったと思う。

また、自分の名前を自分の靴に自分で書いた記憶がある。

 

一方、こんなに言葉は達者じゃなかったと思うし、逆上がりは小3くらいに初めて出来た。

雲梯もそんなに出来なかった。そういうところは娘の方が断然すごい。

 

人見知りや泣き虫なところはその頃の自分そっくりである。

この日記を下の娘が4歳になったときに見返して、比べるのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

【2月23日】空気階段単独ライブ『anna』

空気階段の単独ライブ、空気階段第4回単独ライブ『Anna』が抜群に面白かった。

 

いつもなら仕事と育児でこういったライブに行くこともままならないけれど、こういう状況もあってアーカイブ配信を用意してくれたので今回は見ることが出来た。

コロナ禍の不幸中の幸いというべきか。

 

8本のコントの伏線を回収しながら最後のコント、annaに結実していく見事な流れ。

前半のコントはいつもテレビやラジオでやってる空気階段で、下ネタあり、不条理な設定あり、もぐらの奇抜だがいそうなキャラクターありの内容だったが、

最後のannaは全編笑いというよりは青春ドラマのような甘酸っぱさもありつつ、二人のラジオ愛も伝わってきて、笑って泣ける最高のフィナーレだった。

 

佐藤多佳子の小説『明るい夜に出かけて』の読後感のような爽やかさというか。

 

ところでラジオをテーマにしたこのコントを見て、昔TBSラジオで彼らがやった単発の特番を思い出した。その時も複数のコントの伏線が回収されていく形式で、ラジオがモチーフだったと思う。

この特番は確か今やってる『空気階段の踊り場』が始まる前、ラフターナイトの優勝特番だったと思う。この特番を聴いてこれはすごい、と驚いたのを覚えている。

それ以来、踊り場は初回から毎週聴いている。

 

だが思い出すとこの特番で空気階段を知ったわけではない。

特番が決まるきっかけとなった、ラフターナイト・チャンピオン大会を私は会場に見に行っていたのだ。確か山ちゃんと皆川アナが司会だったと思う。

 

それ以前に、月間チャンピオンになった時の回もたまたま会場に見に行っていた。

私がこの番組のスタジオ回覧をしたのはこの2回だけなので、その2回とも空気階段が出ていて、ウケていたとはなんたる偶然。

 

最初に見た時のネタはアパートの壁が薄く、音楽が聞こえてしまうみたいなネタだったと思うが、隣人役のもぐらが終始袖にいて姿を見せず、最後のオチで一瞬出てくるだけ、という変わった構成が印象に残った。

出順も2〜3番目と早かったが、5人につけれるマルを彼らに迷わずつけた。

 

チャンピオン大会のネタは他の出場者を圧倒していた。

もぐらが人間電波塔の仕事をしてるおじさん、という設定のコントだったが、その奇抜な設定、にも関わらず妙にリアルな人物造形、ワードセンス、腹がはち切れるほど笑った。

当然のように優勝し、その後前述の特番に繋がっていく。

 

その頃の彼らはネタこそ面白かったがなんか小汚く、人気が出そうな要素が見当たらないといった風情だったが、最近はテレビにもよく出てるみたいだし、キングオブコントの決勝にも残るようになった。踊り場も今週200回を迎えたとのことで感慨深い。

 

今回の単独公演なんか、使われてる音楽やキービジュアル、演出も際立っており、スタイリッシュでさえあった。もしかしたら次の世代のバナナマンみたいな存在になるのかもしれない、と感じた。

 

 

 

 

 

【2月22日】 鬼越トマホークはもはやラジオ界の宝だな

この数日radikoで聴いた番組。

 

爆笑問題の日曜サンデー(2月22日)。

1ヶ月の休養期間を経て、ついに田中さんが戻ってきた回。

血圧を上げちゃいけないから怒らせられない、タイタンライブでの復帰を目指した打ち合わせ中、俺の呂律が回らないと判断したら漫才からフリートークにしてくれ、と言われた、などとカーボーイなどでも散々太田さんが煽ってきてたので、一抹の不安がよぎったが、冒頭の第一声から今までと全く変わらない田中さんの声に安心する。

 

それにしても昨年のコロナでの入院時に続き、今回も代役が豪華だった。

日曜サンデーは木梨憲武さんや伊集院光さん、カーボーイアンジャッシュ児島、安住アナや山ちゃん&おぎやはぎ、鬼越トマホークとハライチなど。

 

特に普通なら伊集院さんはカーボーイ、安住アナは日曜サンデーに出るのが自然なところ、あえて逆にしてくる太田さん(光代社長?)の心意気。もはや田中さんの不在を遊ぶ余裕する感じられる。

 

でも「田中は勝手に代役を立てられたり、その代役が面白かったりすると結構気にしている」という太田さんの証言、意外だった。

芸能人は皆が代役のワンアンドオンリー個人事業主。サラリーマンのように簡単に代わりがいる職業ではない。

だからこそ代役がウケた時の不安は大きいのだろう。

 

とはいえ、特に伊集院さんが出た日曜サンデーは面白かった。普段は飛ばすニュースやラジオショッピングも全部面白くて、4時間まるまる聴いた。

 

あと鬼越は今のラジオ回の宝です。

 

 

ナインティナインのオールナイトニッポン

矢部の壁、という企画でその鬼越トマホークとニューヨークがゲスト。

同期だし最近YouTubeでもやり合ってるので、2組のビーフになると思いきや、いきなりナイナイに噛みつき出す鬼越の二人。特に酒井が矢部に噛み付いて離さない。

 

めちゃイケの時の勢いと今をくらべて「つまらない」「いじけてる」「お笑いやってない」などと挑発し続ける酒井。「上の人と絡めるのは最初で最後だといつも思って臨んでる」という捨身の勢いにナイナイもタジタジ。ニューヨークは全く割って入れない。

 

矢部に噛み付く、という着眼点が素晴らしい。

確かに面白くはないけど、いつもいるのが普通と誰もが思っていた矢部に。

 

 

『オードリーのオールナイトニッポン

ルシファー吉岡を優勝させるための大会、L-1グランプリ

企画的な仕掛けがあるのかと思いきや全くなく、普通にルシファー、あばれるくん、Taigaがネタを披露して、あっさりルシファーが優勝。

 

過去にこの番組でも絶賛してた、野球場にデリヘル嬢を集結させるネタ。

 

 

 

先週はスペシャルウィークだった。佐久間宣行ANNには平成ノブシコブシが出てた。

また、ANNゼロに錦鯉が登場したがまだ聴けてない。

そしてあの素晴らしい単独ライブを行った直後の空気階段の番組も。

 

今週まだまだ聴けるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルースが来るぜ! 君は騒音寺を知っているか?

2007〜8年頃だったと思うが、私は騒音寺というバンドにどハマりして、

東京近郊でライブがある時はほぼ必ず行く、

という時期が1年ちょっとくらいあった。

 

騒音寺を知ったきっかけは確か、テレビブロスで紹介されてる記事を目にしたことだと思う。

(そう言えばこの頃はテレビブロスも面白くて、毎号買っていた)

 

その記事はロック写真家・ライターの久保憲司さんが書いていて、

 

騒音寺を尊敬する岸田繁くんがプロデュースすれば、有名になっていいのに。」

 

との一文が心に残っていた私は、

ある日お茶の水JANISに行った際、騒音寺のCDを借りて聞いてみたのである。

 

 

 

一聴して度肝を抜かれた。

 

 

まるでストゥージズにローリング・ストーンズ、ディープ・パープルをミキサーにぶち込んで粗挽きにしたような、骨太なロックンロール。

 

それでいてとんでもないオリジナリティ。

 

昔話を題材にした『道成寺』や『狐か狸か』、

民謡をアレンジした『乱調秋田音頭』などの、

ディープな日本のモチーフ。

 

琵琶法師の説法のような語りのバックで、フリーキーなリフが鳴り続ける『道成寺』や、

訛りが上手すぎて何を言ってるのか本当にわからない『乱調秋田音頭』など、

こんなバンド今まであった!?

さすが京都、恐るべし!

 

と、一瞬で好きになり、それまで出ていたCDを一気に買った。

 

 

同時に、ライブにも行き始めた。

最初に見たのは川崎クラブチッタの、新年のイベントだったように思う。

以降は東京でのライブは下北沢club cueと、新宿red clothが多かったと思うが、

時には千葉や横浜にも遠征した。

 

ライブもすごかった。

演奏ももちろん最高だったが、ナベさんのエンターテイナーっぷりが輪をかけてすごい。

 

見上げる長身に痩躯の長髪、ド派手なジャンプスーツでナベさんが登場すると、

騒音寺目当てでない客も全員が目を奪われた。

 

呆気にとられている間に、ぶちかますロックンロール。

ライブの一曲目は『社会の窓から』『Karasu On My Shoulder』あたりが多かったと思う。

 

そして2、3曲かますと今度は、ロックスター然としたルックスと裏腹に、

関西弁の鉄板MCで、必ずひと笑いとる。

 

それでフロアにいる観客は完全に騒音寺の虜になっていた。

 

 

 

 

特にTHE NEATBEATSとの対バン時の真鍋さんとの掛け合いは、

並の芸人よりよっぽど面白かった(笑)。

 

 

そんなこんなで騒音寺にどハマりした私は、

iPod騒音寺の楽曲をコンプリートで毎日聴きつつ、

1〜2ヶ月に一度くらい、東京近郊のライブに通う、という生活を1年くらい続けた。

 

 

横浜の中華街近くのライブハウス(名前忘れた)の時は、

ナベさんが中華街で100円で買ったという、1回拭いたら壊れたハーモニカのおもちゃを、

ナベさんが投げたのをキャッチした。

 

その後、フロアの後方で休もうとして空いてるところに腰掛けたら、

隣にナベさんが座っていて、

「わあ!びっくりした!!」と言ったら、

「おるで!」と言われたこともある。

 

またある時は、ステージ中「みんなやって欲しい曲ある?」と問いかけるナベさんに、

どうしても『教訓1』(加川良のカバー)をリクエストしたかったが、

とっさに言えなかったことも。あれはred clothだったかな。

 

 

 

対バンのバンド達も、いいバンドがいっぱいあった。

 

やはり一番はTHE NEATBEATS

エンターテインメント性では騒音寺に全く引けを取らないが、

こちらもゲキ渋なロックンロールバンドだ。

真鍋さんは眉を動かすだけで笑いを取れた(笑)

 

ザ・サイクロンズ、夜のストレンジャーズ、片山ブレイカーズスクービー・ドゥー

ザ50回転ズなど、いい対バンをいっぱい見た。

 

まだ全然売れてない頃の毛皮のマリーズも見たな。

 

なんかのイベントで騒音寺の前にやってた、サミー前田という方の、

昭和歌謡やGSだけを使ったDJもめちゃくちゃカッコ良くて目からうろこだった。

 

 

 

そして2008年、私の騒音寺追っかけライフはクライマックスを迎える。

 

7月、フジロック出演決定。

 

12月、ツアーファイナル渋谷クワトロが決定。

 

 

私の胸は高鳴った。

特にフジロックは毎年行っていたので、ついにフジロック騒音寺が交差する時が来るのか、

と胸を踊らせた。

 

 

当日。

初日の苗場食堂(裏の特設ステージ)。

ここは櫓のような場所にバンドがすし詰めになって演奏する、

かなり狭いステージだったが、騒音寺にお誂え向きだと思った。

 

オアシスエリアからグリーンステージへの通路でもあるので、

通りがかりの人たちの度肝を抜いてやれ!

 

確かグリーンステージのメインアクトである、My Bloody Valentaineの真裏だったと思う。

同行してた友達は全員そっちに行ってしまったがそんなの関係ない。

 

そんな足下ばかり向いてるバンドのことなんかどうでもいい。

最高のロックンロール・ショウが待っているのだから。

 

騒音寺は期待通りのライブを見せてくれた。

歴代の苗場食堂のステージの中でも、屈指の人入りだったように思う。

狭い櫓から落ちそうなくらい身を乗り出して、

フジロッカー達を煽っていた。

 

ライブ終わり、興奮冷めやらぬ中、苗場食堂の櫓の裏側あたりでたたずんでいると、

終演後、楽屋?で一息ついている騒音寺メンバー達の姿が。

するとくるりの佐藤さんが、全員分のビールを両手に抱えながら入っていくのが見えた。

 


騒音寺 @FUJI ROCK FESTIVAL'08

 

そして12月のクワトロ。

これはその年に出たベストアルバム『THE BEST OF SOーON⭐︎G』ツアーのファイナルだったと思う。

 

会場に入り、改めて「こんな広いところでワンマンするのか」と感慨深かった。

 

まず、フラワーカンパニーズ騒音寺の『社会の窓から』を演奏。

(これもめちゃくちゃカッコよかった!)

 

そして騒音寺の面々が入場。

 

大団円だった。

セットリストも、ステージも最高のものだった。

クワトロに出るって、こんなにすごい事だったのかと実感した。

 

 

 

 

最高すぎて、その後ちょっと燃え尽きてしまった。

 

年が明けてから私は、騒音寺のライブから足が遠のいてしまった。

ツアーが終わってちょっとライブが減ったからだったかもしれない。

 

でも騒音寺はいまだに聴くとかっこいいし、

騒音寺を追っかけた中で知ったバンドも今でも好きだし、

今はもうできない、貴重な日々だったと思う。

 

 

最後に私の好きな騒音寺15曲。

 

  1. キョート・シティ・ブギ
  2. 二グロの血
  3. 狐か狸か
  4. 御行儀悪いブルース
  5. 社会の窓から
  6. ガキのくせに
  7. 道成寺
  8. 乱調秋田音頭
  9. Brandnew Guiter Blues
  10. Rock and Roll(will never die)
  11. ボディー・トーク・シャッフル
  12. 教訓1
  13. 花のセブンティー
  14. ガタゴト(タムさんが歌う曲!)
  15. 一生浮かばれぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ボタニカル・ライフ』から始まった、私の植物男子遍歴

私の家は東京都心部といえば都心部に近いあたりにあるのだが、(それゆえに?)

地方の人が見たら、「なぜこんな狭いところに一戸建てを・・・!?」と

理解に苦しむような狭小住宅である。

 

当然、庭などない。

 

しかし玄関周りのわずかなスペース、隣家との境界にある小さな植え込みスペース、

2FのベランダーにDIYで作った棚の上、果てはリビングルームの隅々で、

所狭しと鉢植えを置いて、色々な植物を育てては枯らしている。

 

最近は慣れてきたのもあり、また、あまり頻繁に枯れる植物は買わないようになったので、

ローテーションは固定してきたが、それでも鉢植えにスペースができるや、

新しい植物を植えたり、種をまいたりしている。

 

もう5〜6年は続けているが、これが全然飽きない。

次から次へ育てたい植物、咲かせたい花が出てくる。

 

元々植物は好きで、一人暮らしの時分から、いや、実家にいた高校生ぐらいの頃から、

サボテンのひと鉢くらいは部屋にいつもあった。

 

しかし、本格的に「植物男子」になったのは、この本、

『ボタニカル・ライフ』(いとうせいこうを読んでからだ。

 

ミュージシャン、タレント、その他マルチな活動でその存在は元々知っていたが、

この本で書かれているような、植物を育てることに熱中し、

隅田川の辺りにあるマンションのベランダには所狭しと鉢植えが置かれ、

毎日毎日その成長に一喜一憂しながら生活しているとは、

本書を読むまで知らなかった。

 

せいこうさんは庭付き一戸建てでイングリッシュ・ガーデン風だのなんだの、

きれいに手入れされた庭を「ブルジョワ趣味」とこき下ろし(しかし実は羨しそう)、

自宅の軒先や電柱の根本、道路の植え込みの隅などに勝手にトロ箱を置いて

好きな花を育てている路地裏の婆さんに同志の意識を抱く。

 

「ガーデナー」に対して「ベランダー」と自らを呼び、

狭い、夏は暑い、乾燥する、と何かと条件の悪いベランダでの園芸を、

「いい加減に」楽しんでいる。

 

 

 

それにしてもせいこうさんの植物を観察する目は鋭く、それでいて愛に溢れている。

 

 

例えばこんな箇所。

 

本来雑草であるハーブをタネから育て、後生大事に見守っているとなかなか育たず、

ちょっと乾燥するとへばってしまう苗に呆れ、

 

なんだか朝礼で貧血になっているやつみたいな姿である。

 

そもそもが雑草であるはずのハーブが、

子育ての失敗ですっかり弱い子になってしまうのだ。

公園に出してほったらかしにしておけばいいものを、

オモチャだらけの部屋に閉じ込めて、ジュースばかり飲ませていた報いである。

自由を奪われた子供たちが我が身を捨てて親に復讐を企てているのだ。

 

 

またはこんな日も。

 

偏愛するアマリリスを甘やかすがあまり(この場合の甘やかすは球根を掘り上げて成長を止めたりせず、年中ベランダの過ごしやすいところに置いておいたこと)、

美を忘れてしまった(花を咲かせなくなってしまった)アマリリスに嘆くあまり、

新しいアマリリスの鉢を買ってしまったせいこうさん。

 

(中略)最も入れあげていたアマリリスをただの田舎くさい女にしてしまった。

 

俺は自分の至らなさに涙した。

連日ベランダに立ち、まったくもって健康第一、

それしかないアマリリス嬢の姿を見てはため息をもらした。

お前から美を奪ったのは俺だ。来年こそはお前に世間の厳しさを教え、

必ずやカムバックさせて見せる。

 

困ったことに、新しいアマリリスはその日から女優活動を始めた。

天に向かう二つの蕾がまず左右に割れ、それぞれが色づき出した。

(中略)その時点で美しさは決まったようなものだった。

 

ベランダには田舎娘がいた。

俺の庇護を受け、しかしそのせいで筋骨隆々とした容姿となって、

しかも部屋の中で暮らし始めた新しい女の活動にも気付いていない。

不憫だ。これはあまりにも不憫だ。

 

あろうことか、俺は田舎娘の前に立ちはだかってジョウロをもっていた。

やつから部屋の中が見えないような角度に立ち、

いつもと変わらぬ表情を装っている俺は不実な男であった。

 

何を楽しんでいるんだか、せいこうさん(笑)

 

この日記形式の本の全編が、せいこうさんの鋭い観察眼によって見出された、

普段はじっとみていてもほとんど何も動かない植物が、

次の日ふと見ると劇的な変化を遂げたりしている瞬間に感じた感動と、

そこから引き出された豊かな想像で彩られている。

 

そして私も、ページをめくるたびに、「あるある!」という共感と、

「そこまで考えたことないわ!」という驚きが交互に現れ、

1ページも飽きることがない。

 

そして読み終わると、猛烈に新しい植物の鉢を買いに行きたくなるのだ。

 

私はそれに加えて、私はこのような植物についてエッセイ、小説、学術書、図鑑に至るまで、

「植物本」にもはまっていくことになった。

 

それはまた別の記事で書こうかと思う。

 

 

最後に、本書で一番ハッとした言葉。

 

人間はゆっくり成長して、突然死んでしまうが、

植物は突然猛烈な勢いで成長していって、

いつの間にか、ゆっくり時間をかけて死んでいく。

 

 

この見立て、すごくないですか?

 

 

 

ボタニカル・ライフ-植物生活 (新潮文庫)

ボタニカル・ライフ-植物生活 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

『ロックの神様』久保憲司とSNOOZER誌のディスクガイドを熟読してた

大学の頃、『SNOOZER』という音楽雑誌を愛読していた。

 

今もサインマグなどの媒体で活躍している、田中宗一郎氏が編集長だった洋楽誌で、

ロッキンオンと似ていたが、よりトガったアーティストがセレクトされる傾向が強く、

ジャンルもロックだけじゃなくテクノやハウスなどのダンスミュージック系も多かった。

また、特定の日本のアーティストも取り上げていた。

 

つまりはタナソウ氏の好みが直接的に反映された雑誌で、

気に入らないアーティストは徹底的にこき下ろされていた。

また、誌面の随所にロッキンオン誌への対抗意識が露呈していて、

それもおもしろポイントだった。

 

CLUB SNOOZERというDJイベントもあって、それも数回行ったことがある。

確か最初は新宿コマ劇場裏にあった時代のLIQUIDROOMでやっていて、

移転後はいろいろな場所でやっていた。

 

SNOOZER誌もクラスヌも思い出がいっぱいだ。

ここで知った音楽は本当にたくさんある。

 

ロッキンオン的な正統ロックリスナー(オアシス、コールドプレイなど)だった私だが、

SNOOZERと出会って随分ジャンルが広がった。

 

BOOM BOOM SATELITES、HERBERT、The Avalanchesなんかは

SNOOZER読んでなかったら聞かなかったと思う。

 

WINO(JUN)、Jerry Lee PhantomなんかもSNOOZERでしか盛り上がってなかったような。

 

MUSIC LOVERS

MUSIC LOVERS

  • provided courtesy of iTunes

  

マジックタイム

マジックタイム

  • JUN
  • ダンス
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

さて、そんなSNOOZER誌で映画批評のコラムを持っていたのが、

ロック・フォトグラファーの久保賢司さんだ。

 

クボケンさんは17歳で単身ロンドンに渡り、

ロック雑誌の編集部に単身乗り込んで写真の仕事を得て、

数々の伝説のライブ現場に立ち会い・・・

という大変にアクティブな人で、

帰国後はライターやイベントのオーガナイザーとしても活躍している。

 

SMASHの日高さんが初めてグラストンベリーを視察に来たときにも同行して、

通訳を兼ねつつちゃっかり遊び倒したり、

ジーザス・アンド・メリーチェーンの数人しかいない最初期のライブを目撃したり、

セカンド・サマー・オブ・ラブを現地で体験して、

帰国してからは芝浦GOLDでクラブ・ヴィーナスというアシッド・ハウスの

イベントを始めて、デリック・メイやアンドリュー・ウェザオールを呼んだり、

そのフットワークで数々の伝説にふらりと立ち会っている、

ロック現代史の生き証人のような人である。

 

そんなクボケンさんの音楽エッセイ、『ロックの神様』を私は大好きで、

大学時代は何度も読み返した。

 

 

クボケンさんは渡英前、パンクバンドをやっていて、

憧れていた町田町蔵のライブの前座をしたりしている。

つくづくすごい行動力の人だ。

 

この本の巻末に、クボケンさんとタナソウさんの対談が収録されている。

 

二人の出会いはタナソウさんがロッキンオン誌の副編集長だった頃、

クボケンさんにプライマル・スクリームの記事を書いてもらったときだそう。

 

タナソウさんがクボケンさんの書いた文章にめっちゃ赤字を入れたところ、

その記事が載ったロッキンオンを見たクボケンさんの友達から、

「お前、めっちゃ文章うまいねんな」

とめっちゃ電話かかってきた、というエピソードが好きだ。

 

また、タナソウさんは入稿前の忙しい時期にしょっちゅう行方をくらましていたらしく、

後になって聞くと、

「海を見に行ってた」

と答えているのを見て、「副編集長なのにいいのかなな」と思ってた、

というエピソードも(笑)。

 

 

同じ時期にSNOOZER編集部が出したディスクガイド、

The Essencial Disc Guide 2004  あなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコード』も熟読した。

 

2003年のSNOOZER誌選出のベスト50アルバムを紹介し、それぞれのアルバムについて、

これが好きだったらこれも聞くべき、もしくは、

このアルバムの参照元となった過去の名作、

などが芋づる式に紹介されている、なかなか画期的な構成のディスクガイドだ。

 

 

例えば私の大好きだったThe Rapture『Echoes』に紐づけられているのは、

 

PUBLIC IMAGE LTD.  『Metal Box(Second Edition)』

THE KINGSMEN 『The very vest of the Kingsmen』

PSYCHEBFC   『Elements 1989ー1990』

ROXY MUSIC 『For your Pleasure』

MU『afro finger and gel』

CAN  『Future Days』

DURAN DURAN  『DURAN DURAN

 

一見脈絡なさそうなアルバムも混じっているが、

そこに文脈を見つけ、結びつけるのがタナソウさんの腕の見せ所。

 

これを読んで当時の私のJANIS通いは加速するのだった・・・

 

 

と言いつつこれを書きながら思ったが、上記のリストで実際に聞いてみたのって、

キングスメンとMUだけだな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルサはストライカーをどうするのか? スアレスとグリーズマンの個人的思い出

ルイス・スアレス選手がアトレチコ・マドリードに移籍した最初の試合で、

いきなり2ゴールを挙げる活躍をしました。

 

私にとっては何も驚くことではありません。

スアレスは今なおリーガで15〜20点は確実に計算できるトップストライカーであり、

その得点感覚やシュート技術はほとんど衰えを見せていないからです。

 

いろんな政治が絡みあってのことだと思いますが、

バルセロナがなぜあんな無下にスアレスを放出したのか理解できません。

年齢や衰え、契約年数のこともあるでしょうけど、

スアレス以上のストライカーを即戦力で連れてくることは、

今のバルセロナには不可能です。

 

なぜ放出してしまったのでしょうか??

 

最近はワンタッチストライカーのイメージも強いスアレスですが、

私はスアレスのドリブルが好きです。

 

あの低い重心、南米特有の、最近のサッカーではあまり見られない、深い鋭角の切り返し。

 

 

スアレスを初めて見たのは確か2010年か、2011年、アヤックスに在籍してた頃です。

 

確か右ウイングをしていたが、めちゃくちゃ点を取っていました。

確かエールディビジで年間30点以上とったと言ってた気がします。

 

右サイドから一人、二人は軽々と抜き去ってそのままシュートを打っていました。

股抜きも一試合に何回も多用してて、一人だけレベルが違っていました。

 

本人もわかっていたのか、相手にも自分のチームの味方にも苛立っているように見えました。

実際、アヤックスも「チーム・スアレス」と言う感じでした。

 

これはすぐにビッグクラブに移籍するな、と思いました。

 

そうしたらやっぱりすぐにリバプールに移って、

そこからの活躍は言うまでもありません。

 

ちなみにスアレスと言えば悪童としても有名で、

特に2010年W杯の準々決勝、ガーナ戦での相手シュートをハンドで止めて退場になった件と、

2014年W杯、イタリア戦でのキエッリーニへの噛みつき事件での退場が知られています。

 

私は噛みつきに関しては、馬鹿なことを・・・としか思えませんが、

ガーナ戦のハンドについては、非常に合理的かつ、利他的行動だと評価しています。

 

あそこで手を出さなければ確実に敗退していたわけだし、

自分が退場になっても延長で勝てる可能性がある、と踏んで実行したわけなので、

少しでも可能性の高い選択を選んだ合理的行動に過ぎません。

 

倫理的な面から言っても、ルールの裁きを受けているわけですから、

それ以上でも以下でもないと思います。

 

と言うかあの場面で手が出ないような選手、あの場面で手で止めることを卑怯と思う方は、

サッカーというスポーツには向いていないように思います。

 

サッカーはルールのギリギリのところで、いかに騙し合うか、出し抜くか、

ということを90分間ずっと考えるスポーツなのです。

 

 

 

話がそれました。移籍の話に戻ります。

 

スアレス級のストライカーはそもそもほとんど存在してません。

しかもメッシとのコンビネーションを図れる選手となると、

もう選択肢はないに等しいのではないでしょうか。

アグエロ? ラウタロ

 

 

それともグリーズマンセンターフォワードに据えようとしているのでしょうか??

 

グリーズマンバルセロナに来て以来、ずっと萎縮してプレーしているように見えます。

ソシエダの頃のヤンチャな仕掛けも影を潜めていますし、

表情もいつも曇ってます。

 

 

私が唯一、ヨーロッパサッカーを生観戦したことがあるのが、

カンプノウでのバルセロナの試合なのですが、

その時の相手チームはレアル・ソシエダで、左サイドに若きグリーズマンがいました。

 

試合は2013年当時のベストメンバーでホームゲームに臨んだバルサが開始直後から圧倒し、

前半だけで4−0になってしまうワンサイドゲームですが、

左サイドで一人気を吐いていたのがグリーズマンでした。

 

彼はまだ無名の若者にも関わらず、カンプノウの6万人のブーイングにも負けず、

ボールを持つと必ずダニエウ・アウベスに仕掛けてました。

 

だいたい囲まれて潰されてましたが、何度も執拗に仕掛ける姿に、

すごいメンタルだな〜と感心したのを覚えてます。

 

試合は後半、左サイドを強引に突破したグリーズマンが角度のないところから

シュートを突き刺し、一矢報いました。

 

 

そんなグリーズマンアトレチコでの活躍を経て、今はバルサという因果です。

アトレチコに去ったスアレスの代わりとなれるのでしょうか?

 

 

あの頃のヤンチャなグリーズマンに戻って、バルサでも暴れて欲しいです。

スアレスの代わりなんだし。